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新着情報


2021.9.11

【記想録】志無きの人は鈍刀の如し

2021.8.28

【記想録】則ち怨み遠ざかる

2021.8.22

【記想録】三十六策、是れ走を上計とす

2021.8.21

【記想録】己の欲せざる所は人に施す勿れ

2021.8.16

【記想録】漱石が子規からもらった漱石

2021.8.15

【記想録】兵の形は水に象る

2021.8.14

【記想録】逆境の中に居ればみな薬石

2021.8.13

【記想録】風林火山のつづきは?

2021.8.10

【記想録】人を致して人に致されず

2021.8.9

【記想録】戦わずして人の兵を屈する

名言・格言「黒板にちゅ~も~く!」



目   次
福岡史伝…福岡の歴史をできる限り簡単にご紹介!
名所旧跡…メジャー観光地と観光バスは行かない隠れた旧跡
福岡人物伝…歴史は人が造る!福岡の歴史に登場した人々
意外な話…それってホント?意外すぎる話。
よくわかっていない事…歴史って考えれば考えるほど面白い!!
一夜漬け福岡史…時間がない忙しい人用のページ
福岡歴史年表…福岡2000年の歴史概要
名所旧跡フォトライブラリ…乱雑ですが写真集です
リンク…博物館、資料館、図書館へのリンクです。/td>
余談…ひとり言的な話です
更新履歴…アップした日付
訂正履歴…間違い直しの履歴です
はじめに…お願いと参考書






福岡史伝・幕末・維新
 【真木和泉-禁門の変-】(1864年)

久留米水天宮 真木和泉銅像
1863年、8月18日の政変で会津・薩摩の両藩に追われた長州藩は京都を去りますが、長州藩士と共に攘夷活動を行っていた真木和泉も七卿の護衛をし長州へ落ち延びます(七卿落ち)。翌年7月に長州藩は兵を挙げ再び京都へ向いますが、真木和泉も九州を中心とする攘夷志士を率いこの軍に加わります。京都市街では各地で火の手があがり激しい戦いとなりますが、結局は会津・桑名・薩摩に破れ西へ敗走する事になります。その途中、真木和泉の隊は長州へ帰還することを止め天王山に登り陣を取ります。

子母沢寛氏の「新選組始末記」には真木和泉と同士たちの最期が記されていますが、その概要は次の通りです。
「禁門の変」で長州勢の敗色が濃くなると逃げ帰るのを潔しとせず、同士16名と共に天王山へ登ります。 そこへ新選組と会津藩兵が駆けつけると、真木和泉は金色の烏帽子に直垂の姿で山巓(さんてん)に現れ声高に名乗り、朗々と詩を吟じます。 その大胆な態度に、新選組はその姿をただじっと見つめていたといいます。 そして吟じ終わると、真木隊の大砲小銃の射撃が始まります。新選組は射撃が止むまで待ち、山上へ駆け上りますが、 その時、真木隊本営からは焔が上がり同士一同が自決した後だったということです。









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スポットライト人物伝


【貝原東軒(かいばらとうけん)】
(1651年~1713年)


秋月藩士の娘で益軒の妻女。1668年に数え年18歳で39歳の益軒と結婚します。書・和歌の他、箏(そう・琴に似た楽器)や胡琴(こきん・中国から伝わった弦楽器)などの楽器にも通じていました。益軒の著作編纂を陰から助け、「女大学」を記述したのは東軒ではないかといった説もあります。益軒が没する前年に63歳で亡くなっています。



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