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2022.5.3

【記想録】奔馳角逐の心を消すべし

2022.4.23

【記想録】一飯も竟に終身の感を致す

2022.4.16

【記想録】例えば卒然の如し

2022.4.10

【記想録】徳は才の主

2022.4.4

【記想録】衆は害に陥りて能く勝敗を為す

2022.3.6

【記想録】兵とは国の大事なり

2022.2.23

【記想録】信なくば立たず

2022.2.12

【記想録】その鋒鋩を露すべからず

2022.2.6

【記想録】古城古戦場 背振山

2022.1.8

【記想録】則ち誠聞こえず

名言・格言「黒板にちゅ~も~く!」
世間の風霜に打たれ、人生の酸味を嘗め、世態の妙を穿ち、人情の微を究めて、しかる後、共に経世の要務を断ずることが出来るのだ。
氷川清話



目   次
福岡史伝…福岡の歴史をできる限り簡単にご紹介!
名所旧跡…メジャー観光地と観光バスは行かない隠れた旧跡
福岡人物伝…歴史は人が造る!福岡の歴史に登場した人々
意外な話…それってホント?意外すぎる話。
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一夜漬け福岡史…時間がない忙しい人用のページ
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名所旧跡フォトライブラリ…乱雑ですが写真集です
リンク…博物館、資料館、図書館へのリンクです。/td>
余談…ひとり言的な話です
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はじめに…お願いと参考書






名所旧跡・福岡地区南部
 【少弐景資の墓】-那珂川町山田-



城山

少弐景資の墓

 少弐景資は、文永十一年(一二七四)と弘安四年(一ニハー)の二回に渡る蒙古襲来に際し、第一線の指揮官として活躍した勇将であります。
 弘安七年北条時宗が病没した後、鎌倉幕府の内部一に政権争いが起こり、御家人中の最大有力者であった安達泰盛一族が、北条氏得宗(本家)の家宰平頼綱一派によって討伐されました。弘安八年(一二八五)十一月の霜月騒動であります。
 当時、少弐景資は蒙古合戦に参戦した多数の鎮西御家人の要請を汲み取って、また、得宗勢力の進出を喰い止めるために、岩門城(墓より東北側約七〇〇米の城山)に挙兵しました。
 太宰府に居た景資の兄少弐経資は鎮西奉行・筑前守護人としての責任上、肥前守護北条時定等と共に得宗派に組し岩門城を攻めて弟景資を滅ぼしました。これを岩門合戦と申します。外国侵略防衛の第一の功将も国内政略の犠牲となったのです。
 この五輪塔は、岩門城で戦没した景資の墓と伝えられて来たものであります。

平成六年三月 那珂川町商工会 建立

現地の案内板より
写真中央の山の頂にあった山城が少弐景資の居城・岩門城になります。そして景資の墓はこの山の麓・山田に置かれています。











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スポットライト人物伝


【黒田忠之(くろだただゆき)】
(1602年~1654年)


行動に何かと問題のある嫡男・忠之は黒田藩の後継者から外されそうになりますが、栗山大善の支援によりその立場を守ります。 しかし初代藩主・長政の没後に藩主の座についた忠之は栗山大善と不仲になります。 二人の関係が泥沼化すると忠之はついに大善から幕府へ訴えられます。 改易が相次いでいた時期でもあったため黒田藩も取り潰しの憂き目に合いますが、 幕閣の配慮により大善は南部藩預かりとなりことは収められました。



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