Mousegallery

記事検索 






目   次

福岡史伝…福岡の歴史をできる限り簡単にご紹介!

名所旧跡…メジャー観光地と観光バスは行かない隠れた旧跡

福岡人物伝…歴史は人が造る!福岡の歴史に登場した人々

意外な話…それってホント?意外すぎる話。

よくわかっていない事…歴史って考えれば考えるほど面白い!!

一夜漬け福岡史…時間がない忙しい人用のページ

福岡歴史年表…福岡2000年の歴史概要

名所旧跡フォトライブラリ…乱雑ですが写真集です

リンク…博物館、資料館、図書館へのリンクです。

余談…ひとり言的な話です

更新履歴…アップした日付

訂正履歴…間違い直しの履歴です

はじめに…お願いと参考書

 
新着情報

2020.10.14

【記想録】勝龍寺城攻め

2020.10.11

【記想録】本能寺の変を報せた男

2020.9.27

懐良親王終焉之地を追加しました

2020.9.26

男装の漢詩人・原采蘋を追加しました

2020.9.6

名所旧跡に水城西門跡を追加しました

2020.9.4

名所旧跡に小水城跡を追加しました

2020.9.3

マイナーチェンジを行いました

2020.9.2

筑後みやまの平家伝説を追加しました

2020.8.10

船迫窯跡を追加しました

2020.8.7

朝倉の三連水車を追加しました

名言・格言「黒板にちゅ~も~く!」
人の心を乱(みだ)し、元気をそこなふは忿(いか)りなり
養生訓





名所旧跡・久留米
 【真木和泉史跡】-水天宮境内-




【山梔窩(くちなしのや)について】
真木和泉守保臣先生は同士と共に久留米藩を改革しようとして却ってこの地を南に去る十六○(不明) 水田村(現在の筑後市水田区)弟大鳥居信臣のもとに謹慎を命ぜられた。
その翌年庭の一隅に小さな家を建て、山梔窩と名づけ自炊の生活を送りつ、 付近の子弟を教育し後には久留米から参加する者もあり多くの人材を養成した。 これからの門下生には後には幕末の動乱に活躍し国難に仆れたものが少なくない。 また平野国臣を始め諸国の同士の来訪もあり、これらと連絡して策を練り、 朝廷に上書するなど、この山梔窩は尊皇倒幕の一大策源地となった。 幽居十一年時勢の急迫と共に

           やがて世の春に匂はん梅の花
              かた山里の一重なりとも


一首の和歌を書き残して脱出し、明治維新を目指して、その中心的指導者として活躍した。 この建物は史料により当時のものをこの地に模して建てたものである。

山梔窩の案内板より



真木和泉像

真木和泉守保臣(一八一三~一八六四)は明治維新の中心的指導者である。
水天宮神職の家に生まれ、早く父を失ったが、よく母に仕え、かねてから学問に励み、武道、 音楽にも長じ、藩校明善堂から表彰をうけた。傍らに流れる筑後川は菊池一族の誠忠を語り、 少年の時に愛読した絵本楠公記は尊皇愛国の精神を培い、長じては水戸学を中心に学識を深め、 しかも身をもって実践した。
藩政改革を企ててならず、一時水田に蟄居したが、後に脱出して東奔西走、 国事に盡し諸国の志士から「今楠公」と謳われ、その中心的指導者と仰がれた。
彼は蘭方医工藤謙同と親しく、外国の事情にも通じ久留米の医学刷新に盡し、 久留米藩医学舘の生みの親といわれる。また早くから薩長連合を唱えたが、時到らず、 長洲藩と共に倒幕の軍を起し禁門の変に破れ、同士十六人と天王山に登り辞世の和歌を残して自刃した。

     大山の峰の岩根に埋にけり
               わが年月の大和魂

真木和泉像の案内板より











福岡史伝へのアクセスにはこのQRコードをご利用ください
https://www.2810w.com


スポットライト人物伝


【玄昉(げんぼう)】
(?~746年)


藤原氏の有力者たちが当時に流行した天然痘で次々に死去すると橘諸兄(たちばなもろえ)が権力を担い脱藤原氏の体制を目指します。 唐留学僧・玄昉(げんぼう)はその諸兄に抜擢され僧正に任じられますが大和政権での派閥抗争は収束せず、 8年後には自らが観世音寺へ左遷され翌年には原因不明で死去する事になります。現在、戒壇院の北側に玄昉の墓が残っています。


このページは ClubTwinHut が運営しています



© 2011 福岡史伝