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福岡史伝…福岡の歴史をできる限り簡単にご紹介!

名所旧跡…メジャー観光地と観光バスは行かない隠れた旧跡

福岡人物伝…歴史は人が造る!福岡の歴史に登場した人々

意外な話…それってホント?意外すぎる話。

よくわかっていない事…歴史って考えれば考えるほど面白い!!

一夜漬け福岡史…時間がない忙しい人用のページ

福岡歴史年表…福岡2000年の歴史概要

名所旧跡フォトライブラリ…乱雑ですが写真集です

リンク…博物館、資料館、図書館へのリンクです。

余談…ひとり言的な話です

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はじめに…お願いと参考書

 
新着情報

2022.5.3

【記想録】奔馳角逐の心を消すべし

2022.4.23

【記想録】一飯も竟に終身の感を致す

2022.4.16

【記想録】例えば卒然の如し

2022.4.10

【記想録】徳は才の主

2022.4.4

【記想録】衆は害に陥りて能く勝敗を為す

2022.3.6

【記想録】兵とは国の大事なり

2022.2.23

【記想録】信なくば立たず

2022.2.12

【記想録】その鋒鋩を露すべからず

2022.2.6

【記想録】古城古戦場 背振山

2022.1.8

【記想録】則ち誠聞こえず

名言・格言「黒板にちゅ~も~く!」
いつくといふ事悪し
-形にこだわってはいけない、手段はあくまでも結果のため手段である-
五輪書 -水の巻-





意外な人物伝
 【七卿落ちではなく五卿落ち?】(1863年)-五卿のその後-

「七卿落ちの碑」と「延寿王院門」
1863年「8月18日の政変」で会津薩摩の両藩に長州藩が京都を追われると、攘夷派の三条実美ら七卿も長州に落ち延びました。これが世に言う「七卿落ち」です。その後、七卿の一人、澤宣嘉は1863年10月「生野の変」に平野国臣と共に身を投じ、もう一人、錦小路頼徳は1864年6月長州にて病没します。残った五卿は、「禁門の変」、「第一次長州征伐」を経て、福岡黒田藩が預かることなり、長州より太宰府の延寿王院に移りました。この時、筑前勤皇党の月形洗蔵は五卿を下関まで出迎えに行っています。

■五卿のその後を簡単に記します。

三条実美右大臣、太政大臣、内大臣を勤め、一時的に内閣総理大臣を兼任する。

三条西季知大納言に復し、皇太后宮権大夫、参与を勤める。

四条隆謌戊辰戦争に従軍、陸軍陸軍少将、陸軍中将を経、元老院議官を勤める。

東久世通禧神奈川府知事、第二代開拓長官、岩倉使節団に随行、元老院副議長などを勤める。

壬生基修戊辰戦争に従軍、東京府知事、 元老院議官を勤める。



「七卿落ち」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2011年5月1日(日)10:45
http://ja.wikipedia.org/wiki/
%E4%B8%83%E5%8D%BF
%E8%90%BD%E3%81%A1









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スポットライト人物伝


【加藤司書(かとうししょ)】
(1830年~1865年)


西洋諸国の介入を招く恐れのある国内対立を早期に収束させるため、 西郷隆盛と共に第一回長州征討軍解兵に尽力します。しかし一年後には藩内・佐幕派の台頭で「乙丑の獄」が起こり、 博多の天福寺で切腹することになります。 ちなみに福岡藩と土佐藩の成り立ちは「関ヶ原の戦い」より徳川家の天下平定に協力し、外様ながら譜代以上の待遇を得ていることで類似しています。 また幕末には勤王党が活発な活動をし、弾圧された面.....[全文を表示]



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