藤原純友の乱 (941年)

四国伊予国で海賊討伐する立場であった藤原純友は936年頃に自ら海賊となり瀬戸内海で暴れまわりますが、941年2月、朝廷より鎮圧に派遣された軍に本拠地の伊予を制圧されます。
行き場をなくした純友は博多湾より大宰府へ侵攻し、都府楼に火をかけ、観世音寺で略奪を行います。しかし同年5月には小野好古、大蔵春実らの朝廷軍が到着し反乱軍を撃破します。敗れた純友は伊予に逃げ戻りますが、6月には捕縛され獄中で没しました。


乱を鎮めた小野好古の祖父は伝説の詩人といわれた小野篁(おのたかむら)で曾祖父は筑紫で続命院を創設した小野岑守(おのみねもり)になります。また、先祖には遣隋使の小野妹子があり、従妹は小野小町と言った説もあるようでです。
また、大蔵春実はその後、大宰大監に就任、原田(はるだ)に住します。そして、その子孫が平安から戦国まで筑前東南部で勢力を張った原田氏になり、原田の分家の秋月氏も春実の末裔という事です。