第三の金印

『親魏倭王印はどこにある?』の記事で「倭国が受けた金印はこの『親魏倭王』印と後漢の時代に送られた『漢委奴國王』印の二つだけ」と記載しましたが、『明史』には室町時代の1403年にもう一つの金印が送られたことが記載されています。
 
「王の源道義の表、及び貢物を上(たてまつ)る。帝、厚く之を礼し、官を遣わして其の使いと偕(とも)に還らしめ、道義に冠服・亀鈕(きちゅう)の金章及び錦綺(きんき)・紗羅(しゃら)を賚(たま)う。」『倭国伝』(藤堂明保氏、竹田晃氏、影山輝國氏/講談社学術文庫)より
 
帝とは明の創業者・朱元璋(洪武帝)の四男・永楽帝のことで、この年の前年に甥の建文帝を倒し皇帝の地位に就いています。そして源道義は金閣寺を建てた室町幕府の第三代将軍・足利義満の出家後の名になります。
永楽帝は義満に贈った金印の鈕(ちゅう、つまみの部分)に皇族や高官のみに送られるVIP級の『亀鈕』を選んでいます。これは明の建国以来、沿岸で略奪を繰り返す倭寇の鎮圧を期待したからなのかもしれません。

 


表 ・・・ 信書、手紙
冠服 ・・・ 明の官位を表す冠と服
亀鈕 ・・・ 亀を象った(印の)取っ手
金章 ・・・ 金印
錦綺 ・・・ 豪華絢爛な衣服
紗羅 ・・・ うすぎぬ

 
『明史』の内容よりこの金印には「日本国王」と刻印されていたと想像されます。