『福岡史伝』はリニューアルしました。新ページはこちらからどうぞ!!

旧ページは数ヶ月ほどで閉鎖いたします。これからも『福岡史伝』をよろしくお願いいたします。





記事検索 




一夜漬け福岡史
 【飛鳥時代】-白村江の戦いから大宰府の誕生-

宇美町の「百間石垣」(大野城)
645年「乙巳の変(いっしのへん)」で蘇我氏を倒し政権を奪取した中大兄皇子は 663年、新羅・唐の挟撃にあい滅亡した百済の復興支援するため朝鮮に軍を派遣します。 しかし「白村江の戦(はくそんこうのたたかい)」で新羅・唐の連合軍に大敗を喫したため、 九州の防衛に力を入れる事になります。先ずは博多湾近くにあった九州の行政機関・官家を「観世音寺」の隣に移設し「大宰府」とし、 敵の侵攻を食い止めるため前面に濠のある大堤「水城」を築きます。 そして大宰府北側の大野山に石垣を張り巡らした「大野城」を築城し籠城戦にも備えます。 この頃よりこの地域は九州の政庁「大宰府」と大規模寺院の「観世音寺」の築造が進み、大都市への道を歩み始めるのです。
(2012.11.25)


関連記事:飛鳥




検索の結果 3件の記事が見つかりました


金印はなぜ志賀島で…?その弐(大夫の思惑は?)【わかっていない事】
「金印はなぜ志賀島で発見された?」で金印が志賀島で発見された理由を「金印の刻印が奴国王にとって都合の良くないものだったため」と記述しましたが、抽象的な疑問には幾通りもの説があって良いと思いますので、もう一つの説を載せようと思います。(以下では内容を解かり易くするため「奴国」を「那国」と替えて記述しま.....

壬申の乱-筑紫-(672年)【福岡史伝・飛鳥】
天智天皇が崩御すると、その半年後の672年6月に、吉野で出家していた天皇の弟・大海人皇子(おおあまのおうじ)が東国に向かい、挙兵の動きを示します。 時の都の大津では不穏な空気が流れ人々は避難の準備を始めます。 天智天皇の子・大友皇子(おおとものおうじ)はこれに対し、地方官や豪族たちに援軍を出させ.....

飛鳥時代(白村江の戦いから大宰府の誕生)【一夜漬け福岡史】
645年「乙巳の変(いっしのへん)」で蘇我氏を倒し政権を奪取した中大兄皇子は 663年、新羅・唐の挟撃にあい滅亡した百済の復興支援するため朝鮮に軍を派遣します。 しかし「白村江の戦(はくそんこうのたたかい)」で新羅・唐の連合軍に大敗を喫したため、 九州の防衛に力を入れる事になります.....









目   次

福岡史伝…福岡の歴史をできる限り簡単にご紹介!

名所旧跡…メジャー観光地と観光バスは行かない隠れた旧跡

福岡人物伝…歴史は人が造る!福岡の歴史に登場した人々

意外な話…それってホント?意外すぎる話。

よくわかっていない事…歴史って考えれば考えるほど面白い!!

一夜漬け福岡史…時間がない忙しい人用のページ

福岡歴史年表…福岡2000年の歴史概要

名所旧跡フォトライブラリ…乱雑ですが写真集です

リンク…博物館、資料館、図書館へのリンクです。

余談…ひとり言的な話です

更新履歴…アップした日付

訂正履歴…間違い直しの履歴です

はじめに…お願いと参考書

 
新着情報

2022.12.25

【記想録】是れを過ちと謂う

2022.12.4

【記想録】冷眼にて人を観る

2022.11.5

【記想録】人を責むる者は・・・

2022.10.15

【記想録】馬耳東風って李白の言葉!?

2022.9.18

【記想録】小敵の堅は大敵の擒なり

2022.9.13

【記想録】怒りを以って師を興すべからず

2022.8.27

【記想録】佐々木小次郎の経歴

2022.8.1

【記想録】完戸何某との決闘

2022.7.24

【記想録】夢想権之助の挑戦

2022.7.3

【記想録】行蔵は我に存す

名言・格言「黒板にちゅ~も~く!」
その長ずる所を貴び、その短なる所を忘る
三国志





意外な話
 【筑前のUMA】(1809年)-放火し味噌を食い荒らす奇獣「だつ」-

庄林半助が箱曲物屋を営んだ中
洲北端に位置する「中洲中島町」
「金印」や「日本号」を所蔵する福岡市博物館には明治初期に書かれた「旧稀集(きゅうきしゅう)」という書物が所蔵されています。 この本は博多中洲の庄林半助という箱曲物細工師(弁当箱や柄杓などの職人)の親方によって書かれた江戸時代後期の見聞集で、好奇心をそそる事件や噂話などが数多く載せられています。その中に「1809年、山家宿で『だつ』という化け物が出没した。」という話が取り上げられているのです。 「だつ」は留守の民家に忍び込み火を付けたり、味噌を食い荒らしたりします。 そんな事が数ヶ月続いたため、藩の役人も動きますが結局なんの手がかりももなく事は収束したという事です。

それから十数年後、福岡藩第十代藩主・黒田斉清は長崎オランダ商館に博物学者のシーボルトを訪ねた際に、この「だつ」の事を次のように話しています。 「1813年(「旧稀集」と相違があり)の頃に山家駅に奇獣が現れ、食べ物を掠め、火を放つ騒動が数ヶ月続きました。しかしその獣の姿を見た者はなく、ただ足跡が残るのみで、床下でもその歩幅は1.5m程もあり、また狭い窓からも出入りしているため体の大きさを推し測る事ができませんでした。ある時、信石(砒素)を入れた柿を置いてみましたが、信石の入っていない柿だけを選んで食べ、信石入りの方は残されていました。その後、色々と手立てを講じますが、とうとう捕獲することはできませんでした。 今、長崎にはオラウータンという動物が連れて来られているようですが、オラウータンとその獣の足型は似ているとのことです。オラウータンとその獣の関連性はあるのでしょうか?」

筑紫野市山家の旧長崎街道沿いに残る
「山家宿西構口(かまえぐち)」土塀
これに対しシーボルトは「オラウータンはボルネオに住んでおり、無知で、気性もやさしく、ずるがしこくもありません。 その獣がオラウータンでないのは間違いないでしょう。」と答えています。 この問答はこの場に同席した安部龍平の書いた「下問雑戴(かもんざっさい)」という書物に記載されています。 こちらの書物は福岡県立図書館に所蔵されているようです。









福岡史伝へのアクセスにはこのQRコードをご利用ください
https://www.2810w.com


スポットライト人物伝


【少弐貞経(しょうにさだつね)】
(1272年~1336年)


「元弘の乱」では菊池武時の決起要請の使者を切り捨て、翌日には北条英時の鎮西軍と共に鎮西探題に討入った菊池武時を敗死させます。 そして、その2ヵ月後には大友貞宗と共に北条英時を攻め滅ぼし最後の北条氏の勢力を殲滅します。 しかし、3年後に大宰府へ攻め込んで来た菊池武敏(菊池武時の九男)に有智山城を攻められ自害することになります。



このページは ClubTwinHut が運営しています



© 2011 福岡史伝