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名所旧跡・太宰府・筑紫野 【戒壇院】-太宰府市観世音寺-
鑑真和上は日本僧の栄叡、普照の要請により743年より日本へ渡航を試みます。しかし弟子の反対や嵐により5度の失敗を繰り返し、753年ようやく渡日に成功します。1回目の渡航計画より11年の月日が流れていました。 九州に上陸した鑑真和上はまず大宰府の観世音寺に入り、初の授戒を行います。翌年には奈良東大寺に去りますが、18年後の761年、初の授戒を行った場所に戒壇院が建立されました。
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一夜漬け福岡史 【江戸時代】-「黒田騒動」と名著の刊行-
江戸時代の中盤には文化の隆盛を迎え、貝原益軒(かいばらえきけん)の「養生訓」「筑前国続風土記」「大和本草」、 宮崎安貞(みやざきやすさだ)の「農業全書」などの名著が福岡より世に出ます。 そして1784年には志賀島より「金印」が発見され、福岡藩校の甘棠館(かんとうかん)館長・亀井南冥(かめいなんめい)により 「後漢書(ごかんじょ)」に記載される後漢の皇帝が奴国王に送った「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」印と鑑定されます。 これが現在、福岡市博物館に所蔵される金印になります。 (2012.11.27) |
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