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検索の結果 38件の記事が見つかりました


自由の気風の「亀井塾」(昭陽先生と生徒たち)【意外な人物伝】
「漢委奴国王」の金印を鑑定した父・亀井南冥(なんめい)の後を継ぎ、私塾「亀井塾」を起した昭陽先生はある日、近隣・若者組の神事用・幟(のぼり)の揮毫(きごう)を快く引き受けますが、数日後、そのお礼にと塾へは酒が届けられます。 先生はその日の授業が終わると、さっそく生徒たち(元服済み)と「一杯やるか」.....

明史・秀吉伝(中国から見た豊臣秀吉像)【意外な人物伝】
中国の清の時代に書かれた「明史」には豊臣秀吉の事が描写されていますが、概要は次の通りです。 日本国王の下に関白の信長という者がいた。信長はある日、鷹狩りに出かけたが、その時、木の下に寝転んでいた男が突然飛び起きて信長に猛進してきた。この男を捕らえて何事か問い詰めると、男が言うには「私は平秀吉と.....

「大刀洗」地名の由来(「関ヶ原」に並ぶ大合戦「筑後川の戦い」)【意外な話】
1358年「関ヶ原の戦い」「川中島の戦い」と並び称せられる「筑後川の戦い」が起こります。 少弐、大友を中心とする北朝軍と懐良親王、菊池を中心とする南朝軍が筑後川の北側で激突します。 戦いは南朝軍有利で終わりますが、死傷者は北朝軍18,000人、南朝軍6,900人といわれ、戦いの壮絶さは「関ヶ原の.....

上杉鷹山の祖は筑前人?(大蔵春実、「藤原純友の乱」を鎮圧す)【意外な人物伝】
「なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」 (「やればできる。やらないと事は成せない。やれないのはその人がやれないのではなく、やらないからだ。」) と言ったのは、江戸時代中頃に財政破綻寸前の米沢藩を苦難の末に立て直した上杉鷹山(うえすぎようざん)ですが、意外な事にこの鷹山.....

奴国王(西暦57年頃~)【福岡人物伝】
倭国の最南端にあった国の王で、西暦57年に「大夫(だゆう)」という役職の使者を後漢に派遣します。 これに対し当時の皇帝であった光武帝は金印を送りますが、これが江戸時代に志賀島の田地より掘り出され、 現在は福岡市博物館に所蔵されている「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」印になります。.....

シーボルト(1796年~1886年)【福岡人物伝】
1823年、長崎に来航した翌年に鳴滝塾を開き、患者の診察治療活動や集まった塾生に西洋医学、科学を教授します。 これにより鳴滝塾からは伊東玄朴、高野長英、二宮敬作、伊藤圭介の他に幾多の人材が輩出されます。 またの使命とする日本の動植物の情報を収集していますが、この時、貝原益軒の「大和本草」などの著作に.....

島津貞久(1269年~1363年)【福岡人物伝】
「元弘の乱」で少弐貞経、大友貞宗と共に鎮西探題・北条英時を攻め滅し、「多々良浜の戦い」では足利軍に属して戦います。 島津氏は少弐氏、大友氏と共に鎌倉時代に守護を命じられ少弐氏は九州北西部、大友氏は北東部、そして島津氏が九州南部を治めます。 この三氏は九州御三家と呼ばれ九州の中心武家として戦国時代ま.....

大蔵春実(?~?)【福岡人物伝】
前漢高祖・劉邦、後漢光武帝・劉秀の血を受け継ぐといわれる人物で朝廷より「藤原純友の乱」の平定に派遣されます。 乱の平定後は大宰府南方の原田に屋敷を置き大宰大監(だざいだいかん)に就任します。その後、京都に戻りますが その地に残った子孫は地名の原田氏を名乗り筑紫の豪族となります。また江戸時代の米沢藩の.....


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目   次

福岡史伝…福岡の歴史をできる限り簡単にご紹介!

名所旧跡…メジャー観光地と観光バスは行かない隠れた旧跡

福岡人物伝…歴史は人が造る!福岡の歴史に登場した人々

意外な話…それってホント?意外すぎる話。

よくわかっていない事…歴史って考えれば考えるほど面白い!!

一夜漬け福岡史…時間がない忙しい人用のページ

福岡歴史年表…福岡2000年の歴史概要

名所旧跡フォトライブラリ…乱雑ですが写真集です

リンク…博物館、資料館、図書館へのリンクです。

余談…ひとり言的な話です

更新履歴…アップした日付

訂正履歴…間違い直しの履歴です

はじめに…お願いと参考書

 
新着情報

2022.12.25

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【記想録】馬耳東風って李白の言葉!?

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2022.8.27

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2022.7.3

【記想録】行蔵は我に存す

名言・格言「黒板にちゅ~も~く!」
跬歩を積まずば、以て千里に至るなし
荀子





Fアイテム
 【夜に光を放つ石「魚眼精」】(飛鳥時代)-願いを叶える如意宝珠-

擬宝珠
中国の正史「隋書」の倭国の項には次のように書かれています。

「阿蘇山有り。故なく火起こりその石は天に接す。俗をもって異と為し、因って祷祭を行う。如意宝珠有り、その色青く、大きさは鶏卵の如く、夜はすなわち光り有り、云う、「魚眼精」也。」
(阿蘇山という山があり、突然 噴火しその噴石は天にも届く。この異変に人々は祈祷を行う。如意宝珠があり、その色は青く、大きさは鶏の卵ほどである。夜は光を放ち、「魚眼精」と呼ばれている。)

光る石といえば「蛍石」が思い浮かぶのですが、wikiで調べたところ、この石は加熱するか紫外線を当てることによって発光するようです。「魚眼精」が「蛍石」かどうかは想像するしかありませんが、この石の事は、阿蘇山の記事のすぐ後に記載されていることから九州のどこかの地下深くに眠る石なのかもしれません。福岡県朝倉郡には宝珠山という山が存在しており、ここら当たりに「魚眼精」が埋まっていれば面白い事になるのですが・・・。ただ当時の倭国の伝説がそのまま隋に渡り、そのまま見聞録として「隋書」に取り上げられてしまっただけの可能性も大いに考えられますので、採掘に行くのはちょっと見合わようと思います。


「如意宝珠」とは意を思いのままできる玉のことで、神社仏閣にある橋の欄干に飾られる玉ねぎの様な形をした装飾物はこの宝珠を擬して造られたものなので擬宝珠(ぎぼし)と呼ばれ、九段下の武道館の屋根に輝く玉ねぎもこの擬宝珠だと思われます。









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スポットライト人物伝


【秋月種実(あきづきたねざね)】
(1548年~1596年)


父親の秋月文種を大友宗麟の配下、戸次鑑連(べっきあきつら)に討たれたため毛利元就の元に身を寄せます。 そして種実は元就の協力を得てを秋月に帰還し大友氏へ対し抵抗の狼煙を挙げます。 1567年の「休松の戦い」では父の仇・戸次鑑連に奇襲をかけ大混乱に落としいれ一矢報います。 種実は大の大友嫌いだったようで、毛利元就が筑前より撤退すると次に島津氏に属し大友氏に徹底抗戦します。 しかし豊臣秀吉の大軍が大.....[全文を表示]



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