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太宰府天満宮-参道~本殿-(太宰府市宰府)【名所旧跡・太宰府・筑紫野】
一の鳥居 太鼓橋 麒麟像 「梅ヶ枝餅」を造る店や茶店、お土産店の立ち並ぶ石畳の参道を進むと「一の鳥居」が見えてきます。 ここを右に行くと「光明禅寺」、真っ直ぐ鳥居をくぐると幕末の志士たちが集った「延寿王院」に突き当たります。 「一の鳥居」の写真は.....

太宰府天満宮の「麒麟像」(トーマス・グラバーと麒麟像)【Fアイテム】
太宰府天満宮の境内には、「麒麟像」があります。私も子供の頃からその像を知っていましたが、単なる写実性の高い動物像だと思っていました。 学生の頃にこれが中国の空想上の動物「麒麟」だと知りましたが、その写実性?の高さから、西洋美術を学んだ芸術家に依る最近の作品だろうという思いは変わりませんでした。 .....

グラバー(1838年~1911年)【福岡人物伝】
イギリス商人で倒幕派に武器の販売なども行いますが、維新後は自分の会社の倒産を経験します。 基本的に日本は好きだった様で、日本人女性と結婚し日本で終焉を迎えます。 このグラバー氏、太宰府天満宮を数回訪れてその度に「麒麟像」を長い間、眺めていたという話が伝わっています。.....









目   次

福岡史伝…福岡の歴史をできる限り簡単にご紹介!

名所旧跡…メジャー観光地と観光バスは行かない隠れた旧跡

福岡人物伝…歴史は人が造る!福岡の歴史に登場した人々

意外な話…それってホント?意外すぎる話。

よくわかっていない事…歴史って考えれば考えるほど面白い!!

一夜漬け福岡史…時間がない忙しい人用のページ

福岡歴史年表…福岡2000年の歴史概要

名所旧跡フォトライブラリ…乱雑ですが写真集です

リンク…博物館、資料館、図書館へのリンクです。

余談…ひとり言的な話です

更新履歴…アップした日付

訂正履歴…間違い直しの履歴です

はじめに…お願いと参考書

 
新着情報

2022.12.25

【記想録】是れを過ちと謂う

2022.12.4

【記想録】冷眼にて人を観る

2022.11.5

【記想録】人を責むる者は・・・

2022.10.15

【記想録】馬耳東風って李白の言葉!?

2022.9.18

【記想録】小敵の堅は大敵の擒なり

2022.9.13

【記想録】怒りを以って師を興すべからず

2022.8.27

【記想録】佐々木小次郎の経歴

2022.8.1

【記想録】完戸何某との決闘

2022.7.24

【記想録】夢想権之助の挑戦

2022.7.3

【記想録】行蔵は我に存す

名言・格言「黒板にちゅ~も~く!」
仁義に欠けると、世の中の仕事というものは、段々衰微してしまうのである
渋沢栄一





福岡史伝・奈良
 【道君首人の農政改革】(713年)

大善寺町夜明神社の首人塚
若き頃に法律を学び官僚としても優秀だった道君首名(みちのきみおびとな)は53歳の頃に筑後守として赴任します。 年齢からして第一線を退き、引退までの繋ぎの赴任だったのかもしれませんが、 首名は筑後で果物や野菜の栽培、畜産を促進し、また同時に灌漑対策も進め農政に力を入れます。 そして農民にも分かり易い箇条書きの規則を発布し、それに従わない者には罰則を科しました。 その強引な手法に人々の中には首名を陰で罵る者も多かったのですが、徐々にその政策の成果が見え始めると陰口を言うものは居なくなったといいます。 首名は自らの政策が必ずや筑後の民の生活を安定したものにすると確信していたのでしょう。 そして718年、政策の効果を実感した首名は57歳で亡くなります。筑後に赴任して4年程の事でした。
朝廷の人々は首名の死を惜しみその功績を讃えたと「続日本紀(しょくにほんぎ)」で伝えられています。

  

   
■道君首人(みちのきみおびとな)の経歴

700年6月17日(39才)大宝律令の選定に参加する。

701年6月1日(40才)大安寺で大宝律令の「僧尼令」の講説(説明)を行う。(正七位下)

711年4月7日(50才)従五位下に叙せらる。

712年9月19日(51才)遣新羅大使に任じられる。

712年10月28日(51才)新羅へ出発のため元明天皇に拝謁する。

713年8月10日(52才)新羅より帰国。

713年8月26日(52才)筑後守に任じられ、肥後も治める。

715年1月10日(54才)従五位上に叙せらる。

718年1月5日(57才)正五位下に叙せらる。

718年4月11日(57才)死去。


(2015.1.17)









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スポットライト人物伝


【栗隈王(くるくまおう)】
(?~676年)


「白村江の戦い」から四年後、668年7月に栗隈王は防備が整いつつあった筑紫に赴任し筑紫率(つくしのかみ)の地位につきます。 その後、翌1月には蘇我赤兄(そがあかえ)が筑紫宰(つくしのかみ)に任命されますが、赤兄は赴任した形跡が見当たらず、 実務は栗隈王が執っていたと思われ、671年には再び栗隈王が筑紫率に任命されます。この辺りの人事については、後の「壬申の乱」 に繋がる派閥闘争が既に始まっていたこ.....[全文を表示]



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