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福岡人物伝
 【毛利勝永(もうりかつなが)

毛利勝永は秀吉配下の森吉成(のち毛利勝信)の嫡男で、九州征伐の功により、田川企救郡を賜った父に従い小倉城に入ります。そして父・勝信は、約13年間この地を治めますが、その間に近隣の大勢力・毛利氏との繋がりで、姓を毛利に改めます。しかし毛利氏との間に太い血縁はなかったようです。
関ヶ原の戦いでは西軍に属し、伏見城を攻め落しますが、最終的に西軍は敗北します。この敗戦で毛利勝信、勝永親子は小倉の城を没収され、土佐の山内家に預けられます。そして、その地で勝信は死去しますが、大阪の陣が起こると勝永は土佐を脱走し大阪城へ走ります。夏の陣では後藤又兵衛や真田幸村と共に奮戦しますが、二人の討死が伝わり大勢が決すると、大阪城に戻り豊臣秀頼の介錯を務め、自刃しました。享年38。




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スポットライト人物伝


【仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)】
(?~362年)


日本武尊(やまとたけるのみこと)の息子で熊襲征伐に意欲を燃やしますが橿日宮で突然崩御します。 崩御の理由は后の神功皇后の神託に従わなかったためとも、熊襲の矢に当たったためとも言われていますが、 歴史学上では実在しなかったという説もあるようです。



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