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検索の結果 3件の記事が見つかりました


毛利勝永(1578年~1915年)【福岡人物伝】
毛利勝永は秀吉配下の森吉成(のち毛利勝信)の嫡男で、九州征伐の功により、田川企救郡を賜った父に従い小倉城に入ります。そして父・勝信は、約13年間この地を治めますが、その間に近隣の大勢力・毛利氏との繋がりで、姓を毛利に改めます。しかし毛利氏との間に太い血縁はなかったようです。 関ヶ原の戦いでは西軍に.....

「帆柱石」伝説とは?(大木が石化した珪化木)【Fアイテム】
帆柱石の碑と案内板 東区名島の海岸には「帆柱石」と呼ばれる。円柱形の化石があり国の天然記念物に指定されています。この石のネーミングは「神功皇后が三韓出兵の際に使用した軍船の帆柱が化石になった」という伝説から採られています。 実際のところは三千数百万年前の樹木が化石化したもので.....

小倉城(北九州市小倉北区城内)【名所旧跡・北九州地区】
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目   次

福岡史伝…福岡の歴史をできる限り簡単にご紹介!

名所旧跡…メジャー観光地と観光バスは行かない隠れた旧跡

福岡人物伝…歴史は人が造る!福岡の歴史に登場した人々

意外な話…それってホント?意外すぎる話。

よくわかっていない事…歴史って考えれば考えるほど面白い!!

一夜漬け福岡史…時間がない忙しい人用のページ

福岡歴史年表…福岡2000年の歴史概要

名所旧跡フォトライブラリ…乱雑ですが写真集です

リンク…博物館、資料館、図書館へのリンクです。

余談…ひとり言的な話です

更新履歴…アップした日付

訂正履歴…間違い直しの履歴です

はじめに…お願いと参考書

 
新着情報

2022.12.25

【記想録】是れを過ちと謂う

2022.12.4

【記想録】冷眼にて人を観る

2022.11.5

【記想録】人を責むる者は・・・

2022.10.15

【記想録】馬耳東風って李白の言葉!?

2022.9.18

【記想録】小敵の堅は大敵の擒なり

2022.9.13

【記想録】怒りを以って師を興すべからず

2022.8.27

【記想録】佐々木小次郎の経歴

2022.8.1

【記想録】完戸何某との決闘

2022.7.24

【記想録】夢想権之助の挑戦

2022.7.3

【記想録】行蔵は我に存す

名言・格言「黒板にちゅ~も~く!」
未だ曾(か)つて邪は正に勝たず
菅原道真





わかっていない事
 【「朝倉橘広庭宮」はどこ?】-斉明天皇崩御の地-

「橘廣庭宮之蹟」の碑
中大兄皇子の母、斉明天皇は百済救援のため661年3月九州に入り「磐瀬行宮(いわせのかりみや)」(福岡市南区三宅)に滞在します。 5月には「朝倉橘広庭宮(あさくらのたちばなのひろにわのみや)」に移り、7月にそこで突然崩御します。原因は臣下も数人亡くなっていることから疫病のためではないかとの説があります。
貝原益軒の「筑前国続風土記」に「朝倉橘広庭宮」は朝倉市須川にあったと書かれており、現在その地に碑も建っています。 須川には奈良時代の長安寺廃寺跡がありますが、続日本紀には「天智天皇(中大兄皇子)が斉明天皇の冥福を祈って観世音寺と筑紫尼寺を創建した」と記されており、この筑紫尼寺が「朝倉橘広庭宮」跡に建てられた長安寺ではないかというのが須川説の根拠になっています。 しかし「那の津(那大津)」より遠方過ぎる点を疑問視する説もあるようです。
ところで斉明天皇は風雲急を告げる状況の中で九州へ入る直前、熟田津の石湯行宮(愛媛県・現在の道後温泉)に立ち寄り長期滞在しています。 これは斉明天皇が温泉を好んでいたか、湯治をしていたためだと思われるのですが、この朝倉市須川の周辺にも原鶴、吉井、筑後川、林田などの源泉が多く存在します。 そういった事より斉明天皇が滞在する宮が 「那の津(那大津)」より遠方とはいえ、この「須川」辺りの土地に選ばれても不自然さはないのではと推測する説もあります。 またこの頃、天皇の実務は中大兄皇子が遂行し、斉明天皇が自ら実務処理を執り行うこともなかったと想像されます。 個人的にはこの記事の着地点を「朝倉橘広庭宮」の所在地は不明としたかったのですが、どうも「朝倉橘広庭宮」朝倉市須川説は妥当な説のようです。


朝倉地区の幾つかの史跡を巡ってみたのですが、「朝倉橘広庭宮」が須川にあったのは間違いないようです。

「筑前国続風土記」に記載される「朝倉橘広庭宮」について詳しく知りたい方はこちらへどうぞ!
中村学園電子図書館「筑前国続風土記」(pdf)のページへリンク









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スポットライト人物伝


【草野経永(くさのつねなが)】
(?~?)


筑後の御家人で父・草野永綱(くさのながつな)と共に「弘安の役」に参陣します。 博多湾に悠々と停泊する元の船団を目の当たりにした経永は「何とか一泡吹かしてやろう」 と2艘の小船に郎党を分乗させると夜陰に紛れて元の軍船に近づきます。そして敵船に飛び移ると火をかけ、 無警戒だった元軍の兵士たちを次々に討ち取り、凱旋します。 この奇襲戦の成功を知った他の御家人たちは「先を越された!」と悔しがり、その後に多.....[全文を表示]



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