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福岡人物伝
 【草野経永(くさのつねなが)

筑後の御家人で父・草野永綱(くさのながつな)と共に「弘安の役」に参陣します。 博多湾に悠々と停泊する元の船団を目の当たりにした経永は「何とか一泡吹かしてやろう」 と2艘の小船に郎党を分乗させると夜陰に紛れて元の軍船に近づきます。そして敵船に飛び移ると火をかけ、 無警戒だった元軍の兵士たちを次々に討ち取り、凱旋します。 この奇襲戦の成功を知った他の御家人たちは「先を越された!」と悔しがり、その後に多数の小船が夜襲をかけたといわれています。 敵将を生け捕りにした伊予の河野通有も経永の夜襲の翌日に出撃しています。 この経永の家名「草野」は始祖の永経(ながつね)が平安末期に地名の草野を名乗ったもので、 その地名は現在でも久留米市の中心地より10㎞ほど東方に草野町(くさのまち)として残っています。

































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スポットライト人物伝


【菊池武時(きくちたけとき)】
(1292年~1333年)


鎮西探題・北条英時の呼びかけで博多に参陣した肥後の菊池武時はこれを好機と捉え鎮西探題打倒の旗を揚げ北条英時の探題へ討ち入ります。 しかし探題打倒の密約を交わしていた少弐、大友両氏は探題側につき菊池武時は討たれます。 武時は前夜に少弐貞経、大友貞宗に決起要請の使者を送っていたので、当然、鎮西探題側は武時の動きを察知していたことになります。 武時もこの事は承知の上で決死の討入りだったようで、鎮西探題へ.....[全文を表示]



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