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検索の結果 6件の記事が見つかりました


吉塚の由来(2021.3.28)【余談】
立花統虎(むねとら・宗茂)が籠る立花城を攻撃する島津の兵は、秀吉の軍が九州に上陸した情報を得ると南に向けて撤退を開始します。ひと月ほど前に岩屋城の戦いで実父・高橋紹運を島津に討たれた統虎は、これを機に城を出て攻撃に転じ、島津方の星野氏の守る高鳥居城に攻めかかります。その時の事が『黒田家譜』で次の通り.....

耳川の戦い-筑前・筑後-(1578年)【福岡史伝・戦国】
大友方の多くの将兵が斃れた耳川 1584年には龍造寺隆信が「沖田畷の戦い」で島津軍に敗れ討死するも、翌年には頼りの立花道雪も病没し、大友氏は窮地に陥ります。島津勢は肥前、筑後の兵をも取り込み益々勢力を増し攻勢に出ます。これに抗す手立てを失くした豊後の大友宗麟は遂に大坂に出向き豊臣秀吉に.....

岩屋城の戦い(1586年)【福岡史伝・戦国】
1578年「耳川の戦い」(日向)で島津義久に大敗した大友宗麟は、徐々に九州北部へ追い詰められていきます。 8年後の1586年4月、島津を防ぐ手立てをなくした大友宗麟は、大阪城で豊臣秀吉に謁見し救援を求めます。 秀吉はこれに応え、仲裁を試みますが、九州統一を目前にした島津義久はこれを拒.....

茶器「楢柴」の事(博多の豪商・嶋井宗室が所有した茶器)【Fアイテム】
豊臣秀吉に対抗し島津氏に属して戦った秋月種実は、秀吉軍の九州上陸で勢いづいた立花宗茂の兵に追われ秋月に籠もります。そして秀吉自身が九州に乗り込んで来ると、種実は息女と天下の茶器「楢柴(ならしば)」を秀吉に差し出し降伏します。秀吉はこれを受け入れ種実は日向に転封される事となり、取り潰しを免れました。 .....

立花宗茂(1567年~1643年)【福岡人物伝】
高橋紹運の長男として生まれ後に嫡男のない立花道雪に請われて養子となり立花家を継ぐことになります。 島津軍の筑前侵攻では父・紹運が岩屋城で玉砕するものの、宗茂は香椎北東の立花山城に篭り豊臣秀吉の援軍が九州に上陸するまで城を守りきります。 その後、数々の武功を上げ秀吉より柳川13万石を与えられますが、関.....

高橋紹運(1548年~1586年)【福岡人物伝】
反旗を翻した高橋鑑種(たかはしあきたね)が筑前を追われると、 大友宗麟は重臣の吉弘鑑理(よしひろあきこと)の次男を高橋家に送り込み岩屋城と宝満城を守らせます。 これが後の高橋紹運です。島津氏の筑前侵攻の際は、763名の将兵と共に岩屋城に篭もり、数万の敵を相手に半月程持ちこたえますが、 遂に力尽き玉砕.....









目   次

福岡史伝…福岡の歴史をできる限り簡単にご紹介!

名所旧跡…メジャー観光地と観光バスは行かない隠れた旧跡

福岡人物伝…歴史は人が造る!福岡の歴史に登場した人々

意外な話…それってホント?意外すぎる話。

よくわかっていない事…歴史って考えれば考えるほど面白い!!

一夜漬け福岡史…時間がない忙しい人用のページ

福岡歴史年表…福岡2000年の歴史概要

名所旧跡フォトライブラリ…乱雑ですが写真集です

リンク…博物館、資料館、図書館へのリンクです。

余談…ひとり言的な話です

更新履歴…アップした日付

訂正履歴…間違い直しの履歴です

はじめに…お願いと参考書

 
新着情報

2022.12.25

【記想録】是れを過ちと謂う

2022.12.4

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2022.11.5

【記想録】人を責むる者は・・・

2022.10.15

【記想録】馬耳東風って李白の言葉!?

2022.9.18

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2022.9.13

【記想録】怒りを以って師を興すべからず

2022.8.27

【記想録】佐々木小次郎の経歴

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【記想録】完戸何某との決闘

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【記想録】夢想権之助の挑戦

2022.7.3

【記想録】行蔵は我に存す

名言・格言「黒板にちゅ~も~く!」
兵とは詭道(きどう)なり
-戦いとは騙し合いで何が起こるかわからない、十分に注意が必要である-    
孫子





名所旧跡・福岡地区南部
 【須玖岡本遺跡】-春日市岡本-



須玖岡本遺跡

国指定史跡 須玖岡本遺跡 ~岡本山地区~

1986(昭和61)年6月24日指定


須玖岡本遺跡は弥生時代の代表的な遺跡で、中国の歴史書に記された奴国の中心地と推定されています。
奴国の丘歴史公園は須玖岡本遺跡の一角にあり、発掘調査によって弥生時代中期の墓地と住居跡が発見されました。歴史公園は丘陵の尾根部にありますが、尾根上の中央から東側にかけて甕棺墓などの墓地があり、この墓地を取り囲むように祭祀遺構が確認されています。
この墓地は奴国王墓や王族墓のように豊富な副葬品は発見されていませんが、奴国を支えた一集団の墓地といえるでしょう。また、墓地の西側には南北に延びる小さな溝を挟んで、一段下がったところに竪穴住居跡が確認されました。
この遺跡は王墓や王族墓と同時期の墓地や集落があること、小銅鐸鋳型などの貴重な遺物が発見されたことにより国指定史跡となっています。左側にある覆屋では須玖岡本遺跡の一部が発掘調査時の状態で甕棺墓などを見学することができます。

2012年3月 春日市教育委員会

奴国の丘歴史公園内にある案内板より











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スポットライト人物伝


【草野経永(くさのつねなが)】
(?~?)


筑後の御家人で父・草野永綱(くさのながつな)と共に「弘安の役」に参陣します。 博多湾に悠々と停泊する元の船団を目の当たりにした経永は「何とか一泡吹かしてやろう」 と2艘の小船に郎党を分乗させると夜陰に紛れて元の軍船に近づきます。そして敵船に飛び移ると火をかけ、 無警戒だった元軍の兵士たちを次々に討ち取り、凱旋します。 この奇襲戦の成功を知った他の御家人たちは「先を越された!」と悔しがり、その後に多.....[全文を表示]



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