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秋月の乱(1876年)【福岡史伝・幕末・維新】
1874年に江藤新平を中心として起こった「佐賀の乱」から2年後、1876年3月28日に廃刀令が発せられると、西日本各地の士族が募る不満を爆発させます。 10月24日には熊本で太田黒伴雄が率いる170名の士族(神風連)が乱を起こし、 そして3日後の10月27日、福岡秋月では宮崎車之助等が熊.....

幕末・明治(勤皇の志士たちと「秋月の乱」)【一夜漬け福岡史】
幕末期には、真木和泉や平野國臣などの勤皇の志士が登場します。二人は1862年4月、薩摩藩の「寺田屋事件」に関わり捕らえられ、 それぞれ久留米藩、福岡藩へ送還されますが、一年後には許され再び志士活動を開始し京に上ります。 しかし京都では1863年8月に突然政変が起こり、朝廷に強い影響力のあ.....

「筑前宮崎村」はどこにある?(福岡と熊本の宮崎兄弟は同族?)【わかっていない事】
福岡の宮崎兄弟といえば「秋月の乱」に中心人物として参加した宮崎車之助、今村百八郎、宮崎哲之助の三兄弟の事ですが、熊本にも明治期に宮崎兄弟が登場します。 その次男の宮崎八郎は中江兆民らと親交を持ち自由民権活動に奔走、そして西南戦争で西郷軍に参加し八代で戦死します。 また弟たち民蔵、彌蔵、寅蔵(滔天.....

宮崎車之助(1835年~1876年)【福岡人物伝】
「秋月の乱」の中心的な人物ですが決起には消極的だったようです。豊津藩の反政府勢力と合流するため豊津に向いますが、 そこで乃木希典の指揮する小倉の歩兵第14連隊の攻撃を受け撤退します。 そして決起より4日後には乱の中心となった人物6名と共に自刃することになりました。 .....









目   次

福岡史伝…福岡の歴史をできる限り簡単にご紹介!

名所旧跡…メジャー観光地と観光バスは行かない隠れた旧跡

福岡人物伝…歴史は人が造る!福岡の歴史に登場した人々

意外な話…それってホント?意外すぎる話。

よくわかっていない事…歴史って考えれば考えるほど面白い!!

一夜漬け福岡史…時間がない忙しい人用のページ

福岡歴史年表…福岡2000年の歴史概要

名所旧跡フォトライブラリ…乱雑ですが写真集です

リンク…博物館、資料館、図書館へのリンクです。

余談…ひとり言的な話です

更新履歴…アップした日付

訂正履歴…間違い直しの履歴です

はじめに…お願いと参考書

 
新着情報

2022.12.25

【記想録】是れを過ちと謂う

2022.12.4

【記想録】冷眼にて人を観る

2022.11.5

【記想録】人を責むる者は・・・

2022.10.15

【記想録】馬耳東風って李白の言葉!?

2022.9.18

【記想録】小敵の堅は大敵の擒なり

2022.9.13

【記想録】怒りを以って師を興すべからず

2022.8.27

【記想録】佐々木小次郎の経歴

2022.8.1

【記想録】完戸何某との決闘

2022.7.24

【記想録】夢想権之助の挑戦

2022.7.3

【記想録】行蔵は我に存す

名言・格言「黒板にちゅ~も~く!」
囲師(いし・囲まれた敵)には闕(けつ)を遺し、帰師(きし・逃げ帰る敵)は遏(とど)むなかれ
孫子





名所旧跡・太宰府・筑紫野
 【柴田城址】-筑紫野市-



柴田城址

鎌倉時代末期~南北朝時代

応安5年(1372年)菊池武光らの砦か?
菊池武光 元応元年(1319年)?~応安6年(1373年12月29日)高良山攻防戦の最中死去 戦国時代(1467年~1584年)末期の1578は、筑紫広門氏の端城で、その家臣、村山近江守の子 弾正の城であった。

ボランティアグループ 天山ふれあい会


柴田城址の案内板より










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スポットライト人物伝


【立花道雪(たちばなどうせつ)】
(1513年~1585年)


大友氏の猛将で、反旗を翻した立花鑑載(たちばなあきとし)を降して立花山城に入場するまでは戸次鑑連(べっきあきつら)の名で知られています。 毛利氏と連携した筑前の秋月、高橋、筑紫氏らが抵抗の兵を挙げると大友軍の中心武将として戦い、 また肥前の龍造寺氏、中国の毛利氏の侵攻を防ぐ活躍をします。 若い時に雷に打たれ足が不自由だったため戦場では輿に乗って指揮をとったといわれています。



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