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意外な人物伝 【落武者尊氏、筑前で復活!】(1336年)-多々良浜の戦いは多勢に無勢?-
この戦いで戦闘に参加しなかった勢力や寝返った勢力が多く出たのは、後醍醐天皇の「建武の新政」に対する武士階層の不満不安が原因といわれています。 余談になりますが、九州には武家派の豪族は少弐氏以外に薩摩の島津氏、豊後の大友氏や肥前の千葉氏、南肥後の相良氏などの他、多数いたと思われます。 しかし、菊池・阿蘇軍の博多侵攻が早過ぎたため、多々良浜の戦いに間に合わなかったり、西方または南方から駆けつけた豪族は 尊氏軍と自軍の間に南朝軍を置く形になったので、立場を決めかね形式上南朝派を表明していたのかもしれません。 |
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