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福岡史伝…福岡の歴史をできる限り簡単にご紹介!

名所旧跡…メジャー観光地と観光バスは行かない隠れた旧跡

福岡人物伝…歴史は人が造る!福岡の歴史に登場した人々

意外な話…それってホント?意外すぎる話。

よくわかっていない事…歴史って考えれば考えるほど面白い!!

一夜漬け福岡史…時間がない忙しい人用のページ

福岡歴史年表…福岡2000年の歴史概要

名所旧跡フォトライブラリ…乱雑ですが写真集です

リンク…博物館、資料館、図書館へのリンクです。

余談…ひとり言的な話です

更新履歴…アップした日付

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はじめに…お願いと参考書

 
新着情報

2022.12.25

【記想録】是れを過ちと謂う

2022.12.4

【記想録】冷眼にて人を観る

2022.11.5

【記想録】人を責むる者は・・・

2022.10.15

【記想録】馬耳東風って李白の言葉!?

2022.9.18

【記想録】小敵の堅は大敵の擒なり

2022.9.13

【記想録】怒りを以って師を興すべからず

2022.8.27

【記想録】佐々木小次郎の経歴

2022.8.1

【記想録】完戸何某との決闘

2022.7.24

【記想録】夢想権之助の挑戦

2022.7.3

【記想録】行蔵は我に存す

名言・格言「黒板にちゅ~も~く!」
狡兎(こうと)死して走狗(そうく)烹らる
-兎を獲り尽くすと猟犬も不要となり煮られて喰われてしまう-
史記





意外な話
 【太宰府天満宮の由来】(903年)-天満宮の牛の像はなぜ座り込んでるの?-

境内にある座り込んだ牛の像
大宰府へ左遷された2年後の903年、道真公は失意の中、病のため死去します。 門弟の味酒安行(うまさけのやすゆき)が遺骸を牛車に乗せて運んでいると、車を曳く牛が急に座り込んで動かなくなりました。 これは道真公の意思であるということで、遺骸はこの地に埋葬されました。 太宰府天満宮の境内にある牛の像が座像であるのはこの逸話が元になっています。 そして2年後の905年味酒安行はそこに祠廟を創建します。 その後、京都では天変地異が起こり、政敵やその血縁者が病死したり、雷に打たれて死亡する事故が起こりました。朝廷では道真公の祟りではとおののき、919年その地に社殿を建立しました。これが現在の太宰府天満宮の起源となっています。
余談になりますが、観光地として有名な「太宰府天満宮」と歴史書に登場する「大宰府(政庁)」は別のものです。 ここでも書いたように「太宰府天満宮」は道真公を埋葬した場所に建てられた道真公を奉る社殿で、「大宰府(政庁)」は九州を治める政治庁舎のことです。別名「都府楼」とも呼ばれ、天満宮より西方に1キロほど離れた場所に礎石のみが残っています。









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スポットライト人物伝


【足利尊氏(あしかがたかうじ)】
(1305年~1358年)


後醍醐天皇に反旗をひるがえした足利尊氏は、北畠、新田、楠木軍に破れ、海路九州に落ち延びます。 これを知った菊池武敏・阿蘇惟直は肥後より北上し尊氏打倒を目指しますが、尊氏はこの軍を「多々良浜の戦い」で打ち破り大宰府の原八坊・一坊に 入り京都奪還を目指します。



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