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福岡史伝…福岡の歴史をできる限り簡単にご紹介!

名所旧跡…メジャー観光地と観光バスは行かない隠れた旧跡

福岡人物伝…歴史は人が造る!福岡の歴史に登場した人々

意外な話…それってホント?意外すぎる話。

よくわかっていない事…歴史って考えれば考えるほど面白い!!

一夜漬け福岡史…時間がない忙しい人用のページ

福岡歴史年表…福岡2000年の歴史概要

名所旧跡フォトライブラリ…乱雑ですが写真集です

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はじめに…お願いと参考書

 
新着情報

2022.12.25

【記想録】是れを過ちと謂う

2022.12.4

【記想録】冷眼にて人を観る

2022.11.5

【記想録】人を責むる者は・・・

2022.10.15

【記想録】馬耳東風って李白の言葉!?

2022.9.18

【記想録】小敵の堅は大敵の擒なり

2022.9.13

【記想録】怒りを以って師を興すべからず

2022.8.27

【記想録】佐々木小次郎の経歴

2022.8.1

【記想録】完戸何某との決闘

2022.7.24

【記想録】夢想権之助の挑戦

2022.7.3

【記想録】行蔵は我に存す

名言・格言「黒板にちゅ~も~く!」
蝸牛(かぎゅう)の角上(かくじょう)に何事をか争う
-かたつむりの角の上のような小さな場所で、何を戦う意味があるのだろう-
白楽天





福岡史伝・鎌倉
 【文永の役】(1274年)

筥崎八幡宮の「蒙古軍船碇石」
1274年10月5日、元軍は対馬を手始めに、壱岐、松浦と魏志倭人伝に書かれたとおりの道順で殺戮を繰り返しながら侵攻してきました。 その数、兵3万、軍船900といわれています。
19日には糸島半島東部の今津に姿を現し、一部の軍を上陸させ陸路、博多方面へ侵攻させます。 翌20日には軍船を博多港北西周辺に集結させ、室見川河口付近から上陸を開始します。そして陸路今津より進んできた軍と共に、日本軍を攻撃圧倒し、赤坂(市街地西部)まで押し寄せました。
また元軍の別働隊が箱崎方面(博多の東方)へ上陸し、箱崎八幡宮一帯へ火をかけ町を混乱に陥れました。守りきれなくなった日本軍は態勢を立て直すため、とりあえず水城まで撤退したといわれます。
翌日、元軍の大宰府侵攻かと思われましたが、夜が明けると元軍は博多湾より消え去っていました。

(2011.5.14)









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スポットライト人物伝


【小野岑守(おのみねもり)】
(778年~830年)


平安初期の政治家で伝説の詩人・小野篁(たかむら)の父親になります。文人でもあり「凌雲集」「日本後紀」の編纂にもあたります。大宰大弐として着任した際、道端に行き倒れた人々を目の当たりにし、これをあわれみ救済施設「続命院」を創設します。
余談になりますが、幕末維新に活躍した医師・高松凌雲の号は福祉に勤めた岑守の編纂した「凌雲集」が元になっているのかもしれません。




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