『福岡史伝』はリニューアルしました。新ページはこちらからどうぞ!!

旧ページは数ヶ月ほどで閉鎖いたします。これからも『福岡史伝』をよろしくお願いいたします。





記事検索 






目   次

福岡史伝…福岡の歴史をできる限り簡単にご紹介!

名所旧跡…メジャー観光地と観光バスは行かない隠れた旧跡

福岡人物伝…歴史は人が造る!福岡の歴史に登場した人々

意外な話…それってホント?意外すぎる話。

よくわかっていない事…歴史って考えれば考えるほど面白い!!

一夜漬け福岡史…時間がない忙しい人用のページ

福岡歴史年表…福岡2000年の歴史概要

名所旧跡フォトライブラリ…乱雑ですが写真集です

リンク…博物館、資料館、図書館へのリンクです。

余談…ひとり言的な話です

更新履歴…アップした日付

訂正履歴…間違い直しの履歴です

はじめに…お願いと参考書

 
新着情報

2022.12.25

【記想録】是れを過ちと謂う

2022.12.4

【記想録】冷眼にて人を観る

2022.11.5

【記想録】人を責むる者は・・・

2022.10.15

【記想録】馬耳東風って李白の言葉!?

2022.9.18

【記想録】小敵の堅は大敵の擒なり

2022.9.13

【記想録】怒りを以って師を興すべからず

2022.8.27

【記想録】佐々木小次郎の経歴

2022.8.1

【記想録】完戸何某との決闘

2022.7.24

【記想録】夢想権之助の挑戦

2022.7.3

【記想録】行蔵は我に存す

名言・格言「黒板にちゅ~も~く!」
仁義に欠けると、世の中の仕事というものは、段々衰微してしまうのである
渋沢栄一





福岡史伝・戦国
 【蒲池氏の滅亡】(1581年)

百八人塚
「本能寺の変」が起こる一年前の事、筑後では古豪・蒲池氏が滅んでいます。この蒲池氏の滅亡を書くに当り、触れなければならないのが佐賀の龍造寺氏の事になります。

1534年、肥前で大内義隆の侵攻を辛うじて防戦する少弐資元は、「三津村(吉野ヶ里町三津)の戦い」で大内軍を撃退した配下の武将・龍造寺家兼の仲介で義隆と和議を行います。しかし、その2年後に義隆は和議を反故にし資元を多久で自害に追い込みます。この義隆の非情な行動に、少弐氏の家臣・馬場頼周(ばばよりちか)は龍造寺と大内氏のつながりを疑います。そして1544年、馬場頼周は策を巡らし家兼を筑後に追い、龍造寺家の主だった人物を討ち取ります。老齢の家兼は失意の中、筑後の蒲池鑑盛(かまちあきもり)の元に身を寄せ、佐賀へ復帰の機会を窺います。一方、頼周は龍造寺氏を除くことには成功したものの、少弐配下の武将たちを従える力が不足したのか、その翌年に鍋島氏、千葉氏らの協力を得た家兼に攻められ討たれます。佐賀に復帰がかなった家兼は、出家の身であった曾孫の龍造寺隆信を還俗させ、頭主に据えた後に没します。
その後、龍造寺隆信は大内氏に従いますが、1551年、大内義隆が謀反に合い自刃すると豊後の大友氏が筑前に勢力を張り出し、隆信自身も大友派の家臣から筑後に追われ曽祖父と同じく蒲池鑑盛を頼ります。そして、隆信は2年後には佐賀に復帰を果たしますが、この事で鑑盛は龍造寺氏の危機を二度も救った大恩人となった訳です。

隆信は1559年には少弐氏を滅ぼし、以後は筑前に侵攻する毛利氏と結び徐々に勢力を拡大、1570年には「今山の戦い」で大友の大軍を破り、島津、大友に匹敵する巨大勢力にのし上がります。
そして1578年に大友氏が「耳川の戦い」で島津氏に大敗を喫すると、筑後に侵攻し大友派だった緒豪族を配下に置きます。この時、以前の恩人であった蒲池鑑盛は「耳川の戦い」で大友方の武将として戦死しており、その嫡男・蒲池鎮並(かまちしげなみ)が頭主となっていました。鎮並も筑後の他家と同じく隆信に組するものの、2年後には離反したため、主城の柳川城には龍造寺の大軍が押し寄せます。鎮並は城を守り抜き、隆信も一旦兵を引くものも、鎮並に以後も戦いを続ける余力がありませんでした。
1581年に隆信から和約を理由に佐賀に誘い出された鎮並は、5月27日、佐賀城西側の与賀で龍造寺の兵に囲まれ討たれます。そして翌日には龍造寺配下の鍋島、田尻の軍が柳川城へ押し寄せ容赦なく攻撃し城は落ち、6月1日には支城の塩塚城が落城。塩塚城より東の蒲原(かまはら)に逃れていた鎮並夫人で隆信の娘でもある玉鶴姫は蒲池氏の運命に従い自刃し、子息や侍女らも後を追い、または龍造寺の兵に斬られたといわれます。

疑いが策略を呼び、憎しみが謀略を産む、またその怨讐が在らぬところへ飛び火する非情の時代。しかし、そうとは言え哀れみを掛けた相手から滅ぼされた蒲池氏の人々の事を思うとただ虚しさだけが残ります。この戦いでは龍造寺軍の中にも龍造寺の前途を危ぶみ嘆息を漏らした武将がいたという事です。









福岡史伝へのアクセスにはこのQRコードをご利用ください
https://www.2810w.com


スポットライト人物伝


【神功皇后(じんぐうこうごう)】
(?~389年頃)


仲哀天皇の后で朝鮮半島へ出兵し自らも向かいます。主に九州北部中心で活動した人物で、 その一帯には皇后を祭る神社・史跡や伝説が数多く残ります。仲哀天皇と同じく架空の人物という説もあります。



このページは ClubTwinHut が運営しています



© 2011 福岡史伝