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Fukuoka's history information |
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名言・格言「黒板にちゅ~も~く!」
| | 衆心は城を成し、衆口は金を鑠(と)かす -人々の心が結束すればそれは城をなし、人々の批評や噂話は金属でも溶かしてしまうほど怖ろしいものである- | 国語 | |
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意外な人物伝 【人参畑先生の事】(1877年)-男装の女医・高場乱-
 | 人参畑塾(興志塾)跡 博多駅前四丁目 | 最近、テレビでは美形の女医さんが話題を振りまいているようですが、40年程前の九州では女性の医師はほぼ見受けることが無かった様な気がします。
しかし最近では女性も医学界で活躍するのが極普通な事になっているようで、私自身も、以前にチョットした不注意で指先を負傷し女医の先生のお世話になったことがありました。
その先生は知的で聡明そうな女性で、的確な説明と処置をしていただいた事が思い出されます。
ところで福岡では100年以上前に女医が登場します。この女性は高場乱(たかばおさむ)といい眼科医の家に生まれ、一家に嫡男がなかったため男子として育てられます。若き頃に亀井学派に学び一生涯、男装で過ごしたという人物です。維新期には現在の博多駅の南側にあった人参畑跡(福岡藩の朝鮮人参畑?)に「興志塾」という塾を開き後進の育成にも励みます。
その塾の所在地より地元の人々からは「人参畑先生」と呼ばれ、塾生には血気盛んで乱暴な若者も拒まず入門させたといわれます。
そして明治10年(1877年)には「西南戦争」の薩摩軍に呼応して起きた「福岡の変」に多くの塾生たちが参加したため、変の収束後に警察に呼び出され教育者として責任を厳しく問われます。語気を荒げる取調官に対し、乱(おさむ)は「教え子の罪が私の責任と言われるのならば潔く罪に服そう。ただ県民の罪は福岡県令の罪でもある。この私の首と、県令・渡辺清(元大村藩士。渡辺昇の兄)の首を並べて罪を償うべきであろう。」と逆に相手をやり込めたといわれます。
乱(おさむ)はそれ以上、罪を問われることなく帰され、そして「福岡の変」で生き残った塾生達はその後、政治活動に走り日本の政治に深く関わってゆく事になるのです。
以上が幕末から明治にかけて福岡に生きた女医・高場乱の話です。百数十年前に女医が存在したと言うのは意外な話ですが、実は女医の歴史はもっと古く、1300年程前、奈良時代の722年11月7日に「初めて女医の博士を置いた」と続日本紀(しょくにほんぎ)に書かれており、
女医は最近の職業という思い込みは間違いだったのかもしれません。
-参考・引用「福岡歴史探検①近世福岡」(福岡地方史研究会/海鳥社)-
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- 『魏志倭人伝』序 略文
- 倭人、帯方郡の南東の大海にあり
- 山島に依り国邑をなす
- 昔、百余国あり
- 漢の時代に朝見する者あり
- 今、使訳の通ずるところ三十国あり
- 帯方郡より倭に至るには
- 海岸に従い水行し韓国を経て
- 乍南乍東しその北岸、狗邪韓国に到る
- 七千余里
- 初めて一海を渡り千余里
- 対馬国に至る
- 居絶にして四百余里四方
- 土地山険しく深林多し
- 道はけもの道の如し
- 良田なく海物を食いて自活す
- 船に乗りて南北に交易する
- また一海を渡る事千余里
- その海を翰海という
- 一大国に至る
- 三百余里四方、竹木そう林多く
- 千ばかりの家あり
- 多少の田地あり、田を耕すも食足らず
- 南北に交易する
- また南に一海を渡りて千余里
- 末盧国に至る、四千余戸あり
- 山海の浜に居す
- 草木茂盛し、前を行く人見えず
- 魚鰒を捕るを好み
- 水深浅なく、皆沈没してこれを取る
- 東南陸行五百里、伊都国に到る
- 千余戸あり、代々続く王ありしが
- 皆、女王国に統属する
- 帯方郡使が往来し常駐する所なり
- 東南、奴国に至ること百里
- 二万戸あり
- 東行、不彌国に至ること百里
- 千戸あり
- 南、投馬国に至る
- 水行十日、陸行二十なり
- 五万余戸ばかりなり
- 南、邪馬壱国に至る
- 女王の都す所なり
- 水行十日、陸行一月なり
- 七万余戸ばかりなり
- 『三国志 巻三十 魏書三十 東夷伝 倭人』より
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スポットライト人物伝 |
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【黒田長政(くろだながまさ)】 (1568年~1623年)
豊臣秀吉の参謀・黒田官兵衛(如水)の長男として生まれます。十歳の頃に父・官兵衛の謀反が疑われ織田信長に殺されかけますが、 秀吉の部下・竹中半兵衛に匿われ命を取り留めます。それから二十数年後に秀吉が死去し「関ヶ原の戦い」が起こると、 徳川家康の東軍に属します。この戦いは小早川秀秋の寝返りで東軍が勝利を大きく引き寄せたといいますが、 この「寝返り」を事前に根回ししたのが長政だといわれています。戦後、長.....[全文を表示]
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