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福岡史伝…福岡の歴史をできる限り簡単にご紹介!

名所旧跡…メジャー観光地と観光バスは行かない隠れた旧跡

福岡人物伝…歴史は人が造る!福岡の歴史に登場した人々

意外な話…それってホント?意外すぎる話。

よくわかっていない事…歴史って考えれば考えるほど面白い!!

一夜漬け福岡史…時間がない忙しい人用のページ

福岡歴史年表…福岡2000年の歴史概要

名所旧跡フォトライブラリ…乱雑ですが写真集です

リンク…博物館、資料館、図書館へのリンクです。

余談…ひとり言的な話です

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はじめに…お願いと参考書

 
新着情報

2020.11.27

【記想録】囲師必闕

2020.11.25

【記想録】秀吉の手紙

2020.11.24

【記想録】孝高、信長面会

2020.11.23

【記想録】毛利と宇喜多の旗

2020.11.22

【記想録】松壽丸危うし

2020.11.4

【記想録】異説 賤ヶ岳の七本槍

2020.11.1

【記想録】赤松則房の事

2020.10.14

【記想録】勝龍寺城攻め

2020.10.11

【記想録】本能寺の変を報せた男

2020.9.27

懐良親王終焉之地を追加しました

名言・格言「黒板にちゅ~も~く!」
恩威並び行われる
容斉続筆

名所旧跡・博多区
 【博多古図の絵馬】-住吉神社内-





博多古図の案内板

博多古図解説
この博多古図は当住吉神社蔵の絵馬で鎌倉時代に描かれたものを江戸時代に筆写し明治になって奉納されたものであります。 西公園は古から「荒津山」といい現在の荒戸の地名は荒津の変化したものと云われ「草香江」は現在の大濠公園や草香江の地名に当時の面影をとどめています、また「袖の湊」は平清盛が築いたものと云われ対中国貿易の重要な港で今の呉服町付近にあたります。 この時代では天神・中洲はもちろん博多の大部分はまだ海中にあったことになります。

住吉神社「博多古図」の案内板より




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  • 『魏志倭人伝』序 略文      
  • 倭人、帯方郡の南東の大海にあり
  • 山島に依り国邑をなす
  • 昔、百余国あり
  • 漢の時代に朝見する者あり
  • 今、使訳の通ずるところ三十国あり
  • 帯方郡より倭に至るには
  • 海岸に従い水行し韓国を経て
  • 乍南乍東しその北岸、狗邪韓国に到る
  • 七千余里
  • 初めて一海を渡り千余里
  • 対馬国に至る
  • 居絶にして四百余里四方
  • 土地山険しく深林多し
  • 道はけもの道の如し
  • 良田なく海物を食いて自活す
  • 船に乗りて南北に交易する
  • また一海を渡る事千余里
  • その海を翰海という
  • 一大国に至る
  • 三百余里四方、竹木そう林多く
  • 千ばかりの家あり
  • 多少の田地あり、田を耕すも食足らず
  • 南北に交易する
  • また南に一海を渡りて千余里
  • 末盧国に至る、四千余戸あり
  • 山海の浜に居す
  • 草木茂盛し、前を行く人見えず
  • 魚鰒を捕るを好み
  • 水深浅なく、皆沈没してこれを取る
  • 東南陸行五百里、伊都国に到る
  • 千余戸あり、代々続く王ありしが
  • 皆、女王国に統属する
  • 帯方郡使が往来し常駐する所なり
  • 東南、奴国に至ること百里
  • 二万戸あり
  • 東行、不彌国に至ること百里
  • 千戸あり
  • 南、投馬国に至る
  • 水行十日、陸行二十なり
  • 五万余戸ばかりなり
  • 南、邪馬壱国に至る
  • 女王の都す所なり
  • 水行十日、陸行一月なり
  • 七万余戸ばかりなり
  •         『三国志 巻三十 魏書三十 東夷伝 倭人』より

スポットライト人物伝


【宮崎車之助(みやざきしゃのすけ)】
(1835年~1876年)


「秋月の乱」の中心的な人物ですが決起には消極的だったようです。豊津藩の反政府勢力と合流するため豊津に向いますが、 そこで乃木希典の指揮する小倉の歩兵第14連隊の攻撃を受け撤退します。 そして決起より4日後には乱の中心となった人物6名と共に自刃することになりました。



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