Fukuoka's history information 
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福岡史伝…福岡の歴史をできる限り簡単にご紹介!

名所旧跡…メジャー観光地と観光バスは行かない隠れた旧跡

福岡人物伝…歴史は人が造る!福岡の歴史に登場した人々

意外な話…それってホント?意外すぎる話。

よくわかっていない事…歴史って考えれば考えるほど面白い!!

一夜漬け福岡史…時間がない忙しい人用のページ

福岡歴史年表…福岡2000年の歴史概要

名所旧跡フォトライブラリ…乱雑ですが写真集です

リンク…博物館、資料館、図書館へのリンクです。

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新着情報

2021.6.8

現在『記想録』を頻繁に更新中です。

2021.5.5

人物伝・毛利勝永を追加しました

2021.5.1

旧跡臼井六郎の生誕地を追加しました

2021.4.30

「不落の柳川城炎上す」を追加しました

2021.4.29

「二卿事件」を追加しました

2021.4.27

「唐原・落人の里」を追加しました

2021.4.26

「今津元寇防塁」を追加しました

2021.4.25

「宮崎安貞書斎」を追加しました

2021.4.19

「原鶴温泉の歴史」を追加しました

2021.4.18

「最後の仇討」を追加しました

名言・格言「黒板にちゅ~も~く!」
事の起らない前から、ああしよう、こうしようのと、心配するほど馬鹿げた話はない
氷川清話

名所旧跡・京築
 【おこしかけ】-豊前市四郎丸-


「おこしかけ」の由来

JR日豊線豊前松江駅の東南方に細長い台地があり、そこは「おこしかけ」の名で呼ばれている。
 往古、神功皇后(じんぐうこうごう)が豊前路巡幸の折に、その地にあった石に腰を下ろしてしばしの休息をとったので、それ以来「おこしかけ」の地名がついたのだと言われる。眼下に豊前海を一望できる風光明媚な場所である。
 神功皇后について語り伝えられるところによれば、四世紀の終わり頃、熊襲(くまそ)との戦いのさなかに夫の仲哀天皇が亡くなり、皇后は応神天皇を身ごもったまま、武内宿禰(たけのうちのすくね)と計って朝鮮半島は新羅(しらぎ)へ出兵したという。また帰国後は、応神天皇即位までの六十九年間摂政をつとめたとされる。
 神功皇后は宇佐神宮の祭神である。大きな古墳の上に建つ宇佐神宮は三つの神殿が横に並んで本殿を形成しているが、神功皇后はその第三御殿に祀る(まつ)られている。
 奈良時代以降、朝廷の宇佐八幡に対する崇敬はすこぶる篤(あつ)く、天皇の即位や国家の変事が生じた際には、奉弊(ほうへい)あるいは神意をうかがうために勅使(ちょくし)がしばしぼ宇佐へ派遣された。そして、松江の海岸線から四郎丸、田渕をへて宇佐へと向かう道筋は、その宇佐使が通る勅使街道にあたった。それゆえ、豊前の地には、大富神社の「勅使井」をはじめとして宇佐八幡にまつわる様々な歴史か刻まれ、「拝みの松」の和気清麻呂伝説や「おこしかけ」の神功皇后伝説など多くの伝説が今に語り継がれることになったのである。

豊前市教育委員会

国道10号線沿いの「道の駅おこしかけ」に置かれている案内板より




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  • 『魏志倭人伝』序 略文      
  • 倭人、帯方郡の南東の大海にあり
  • 山島に依り国邑をなす
  • 昔、百余国あり
  • 漢の時代に朝見する者あり
  • 今、使訳の通ずるところ三十国あり
  • 帯方郡より倭に至るには
  • 海岸に従い水行し韓国を経て
  • 乍南乍東しその北岸、狗邪韓国に到る
  • 七千余里
  • 初めて一海を渡り千余里
  • 対馬国に至る
  • 居絶にして四百余里四方
  • 土地山険しく深林多し
  • 道はけもの道の如し
  • 良田なく海物を食いて自活す
  • 船に乗りて南北に交易する
  • また一海を渡る事千余里
  • その海を翰海という
  • 一大国に至る
  • 三百余里四方、竹木そう林多く
  • 千ばかりの家あり
  • 多少の田地あり、田を耕すも食足らず
  • 南北に交易する
  • また南に一海を渡りて千余里
  • 末盧国に至る、四千余戸あり
  • 山海の浜に居す
  • 草木茂盛し、前を行く人見えず
  • 魚鰒を捕るを好み
  • 水深浅なく、皆沈没してこれを取る
  • 東南陸行五百里、伊都国に到る
  • 千余戸あり、代々続く王ありしが
  • 皆、女王国に統属する
  • 帯方郡使が往来し常駐する所なり
  • 東南、奴国に至ること百里
  • 二万戸あり
  • 東行、不彌国に至ること百里
  • 千戸あり
  • 南、投馬国に至る
  • 水行十日、陸行二十なり
  • 五万余戸ばかりなり
  • 南、邪馬壱国に至る
  • 女王の都す所なり
  • 水行十日、陸行一月なり
  • 七万余戸ばかりなり
  •         『三国志 巻三十 魏書三十 東夷伝 倭人』より

スポットライト人物伝


【少弐頼尚(しょうによりなお)】
(1294年~1372年)


少弐貞経の嫡男。九州に落ちた足利尊氏を下関で出迎え京の戦で敗れた尊氏を励ましたといわれます。 そして父・少弐貞経を討った菊池武敏を尊氏と共に「多々良浜の戦い」で破り、肥後に追います。 しかし二十数年後日本三大合戦に挙げられる「筑後川の戦い」で菊池武光に破れ2年後に大宰府を奪われることになります。



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