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福岡史伝…福岡の歴史をできる限り簡単にご紹介!

名所旧跡…メジャー観光地と観光バスは行かない隠れた旧跡

福岡人物伝…歴史は人が造る!福岡の歴史に登場した人々

意外な話…それってホント?意外すぎる話。

よくわかっていない事…歴史って考えれば考えるほど面白い!!

一夜漬け福岡史…時間がない忙しい人用のページ

福岡歴史年表…福岡2000年の歴史概要

名所旧跡フォトライブラリ…乱雑ですが写真集です

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余談…ひとり言的な話です

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はじめに…お願いと参考書

 
新着情報

2020.8.10

船迫窯跡を追加しました

2020.8.7

朝倉の三連水車を追加しました

2020.8.6

漢委奴国王印の鈕は駱駝?

2020.8.5

宮本武蔵の碑を追加しました

2020.8.4

野村望東尼終焉の宅の碑を追加しました

2020.8.3

羽犬塚の由来を追加しました

2020.8.2

ケネディが尊敬した日本人

2020.7.31

水田天満宮を追加しました

2020.7.30

如水の井戸を追加しました

2020.7.29

筑後国府跡を追加しました

名言・格言「黒板にちゅ~も~く!」
諸君は必ず失敗する。ずいぶん失敗する。 たびたび失敗すると、そこで大切な経験を得る。
大隈重信

一夜漬け福岡史
 【弥生・古墳時代】-中国文献に記される奴国と三国朝鮮へ-

岩戸山古墳の「石人石馬」
西暦57年、中国後漢の皇帝より奴国王に金印が送られますが、これが文献に残る初めての福岡に関する出来事です。 それから約200年後に書かれた三国志の「倭人の条」には邪馬台国への道筋が記載されその途中の国として 伊都国(いとこく・糸島市)、奴国(なこく・福岡市)、不彌国(ふみこく) など福岡県内の都市が紹介されています。 この三国志「倭人の条」は後世の日本人より「魏志倭人伝」と呼ばれ、邪馬台国所在地論争の元となりました。

西暦300年代前後には倭国は共和国内の各国を帰属させ中央集権国家に移行します。
奴国もこの中央集権の波に呑まれ、この頃に倭国の一都市になったものと思われます。 九州北部を吸収した倭国は、次に三国時代の朝鮮へ渡り新羅、百済の間の伽耶(かや・小国家が並立する地域-任那-)に駐屯します。 倭国軍は伽耶諸国や百済と連携し新羅や高句麗と戦いますが、西暦500年代に入った頃より倭国の朝鮮への影響力は徐々に弱まり、 大伴金村が百済に「任那四県の割譲」(512年)を行い。 また九州では朝鮮出兵の兵役負担の不満により磐井(いわい)が「磐井の乱」(528年)を起こします。 そして新羅が伽耶諸国を併合した西暦500年代中頃までには朝鮮半島から撤退したものと思われます。

(2012.11.27)




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  • 『魏志倭人伝』序 略文      
  • 倭人、帯方郡の南東の大海にあり
  • 山島に依り国邑をなす
  • 昔、百余国あり
  • 漢の時代に朝見する者あり
  • 今、使訳の通ずるところ三十国あり
  • 帯方郡より倭に至るには
  • 海岸に従い水行し韓国を経て
  • 乍南乍東しその北岸、狗邪韓国に到る
  • 七千余里
  • 初めて一海を渡り千余里
  • 対馬国に至る
  • 居絶にして四百余里四方
  • 土地山険しく深林多し
  • 道はけもの道の如し
  • 良田なく海物を食いて自活す
  • 船に乗りて南北に交易する
  • また一海を渡る事千余里
  • その海を翰海という
  • 一大国に至る
  • 三百余里四方、竹木そう林多く
  • 千ばかりの家あり
  • 多少の田地あり、田を耕すも食足らず
  • 南北に交易する
  • また南に一海を渡りて千余里
  • 末盧国に至る、四千余戸あり
  • 山海の浜に居す
  • 草木茂盛し、前を行く人見えず
  • 魚鰒を捕るを好み
  • 水深浅なく、皆沈没してこれを取る
  • 東南陸行五百里、伊都国に到る
  • 千余戸あり、代々続く王ありしが
  • 皆、女王国に統属する
  • 帯方郡使が往来し常駐する所なり
  • 東南、奴国に至ること百里
  • 二万戸あり
  • 東行、不彌国に至ること百里
  • 千戸あり
  • 南、投馬国に至る
  • 水行十日、陸行二十なり
  • 五万余戸ばかりなり
  • 南、邪馬壱国に至る
  • 女王の都す所なり
  • 水行十日、陸行一月なり
  • 七万余戸ばかりなり
  •         『三国志 巻三十 魏書三十 東夷伝 倭人』より

スポットライト人物伝


【シーボルト(しーぼると)】
(1796年~1886年)


1823年、長崎に来航した翌年に鳴滝塾を開き、患者の診察治療活動や集まった塾生に西洋医学、科学を教授します。 これにより鳴滝塾からは伊東玄朴、高野長英、二宮敬作、伊藤圭介の他に幾多の人材が輩出されます。 またの使命とする日本の動植物の情報を収集していますが、この時、貝原益軒の「大和本草」などの著作に触れ絶賛したといわれます。 1826年の江戸参府の際は、長崎街道を通り、 原田宿(現福岡県筑紫野市・.....[全文を表示]



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