『福岡史伝』はリニューアルしました。新ページはこちらからどうぞ!!

旧ページは数ヶ月ほどで閉鎖いたします。これからも『福岡史伝』をよろしくお願いいたします。



Mousegallery






福岡人物伝
 【毛利勝永(もうりかつなが)

毛利勝永は秀吉配下の森吉成(のち毛利勝信)の嫡男で、九州征伐の功により、田川企救郡を賜った父に従い小倉城に入ります。そして父・勝信は、約13年間この地を治めますが、その間に近隣の大勢力・毛利氏との繋がりで、姓を毛利に改めます。しかし毛利氏との間に太い血縁はなかったようです。
関ヶ原の戦いでは西軍に属し、伏見城を攻め落しますが、最終的に西軍は敗北します。この敗戦で毛利勝信、勝永親子は小倉の城を没収され、土佐の山内家に預けられます。そして、その地で勝信は死去しますが、大阪の陣が起こると勝永は土佐を脱走し大阪城へ走ります。夏の陣では後藤又兵衛や真田幸村と共に奮戦しますが、二人の討死が伝わり大勢が決すると、大阪城に戻り豊臣秀頼の介錯を務め、自刃しました。享年38。




関連記事:勝永

















福岡史伝へのアクセスにはこのQRコードをご利用ください
https://www.2810w.com


スポットライト人物伝


【藤原純友(ふじわらすみとも)】
(893年~941年)


瀬戸内海で海賊行為を行い暴れ回った藤原純友の軍は本拠地の伊予を朝廷軍に制圧されると、 筑紫に逃れ大宰府を襲い観世音寺で略奪を行います。 しかし博多湾で朝廷軍に破れ伊予に逃げ戻りますが、そこで捕らえられ獄死する事になります。



このページは ClubTwinHut が運営しています



© 2011 福岡史伝