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福岡人物伝
 【中岡慎太郎】

土佐の志士で五卿に随い太宰府に入り、五卿の衛士として仕えながら薩長同盟を画策します。 そして1864年から約3年間、太宰府、長州、京都間を忙しく行き来し、 薩長の有力者や土佐の同士たちと面談、坂本龍馬と共に薩長同盟を実現させます。 しかし大政奉還から一ヶ月後、京都・近江屋で刺客に襲われ龍馬と共に暗殺されることになります。


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古屋佐久左衛門(1833年~1869年)【福岡人物伝】
筑後古飯(ふるえ)の庄屋の生まれで医学を志し大阪に出ますが、医学が性に合わない事を悟り、江戸に向かい英語や洋学を学び、洋学書の翻訳などを手がけます。また婿養子で古屋家を継ぎ幕臣となります。戊辰戦争では坂本龍馬を斬ったとされる今井信郎(のぶお)と共に衝鋒隊を率い北関東、越後、会津、箱館と転戦し最期は官.....

巌流島は豊前領だった!(現在の島の住人は?)【意外な話】
巌流島の住人? 宮本武蔵と佐々木小次郎が対決した巌流島は山口県の観光名所として有名ですが、江戸時代は豊前小倉藩の領地だったということです。これは「関ヶ原の戦い」で敗れ徳川家より本州の西の片隅に押し込められて不満を持つ毛利家を牽制するため方策だと想像されるのですが、実際のところはどう.....

中岡慎太郎(1838年~1867年)【福岡人物伝】
土佐の志士で五卿に随い太宰府に入り、五卿の衛士として仕えながら薩長同盟を画策します。 そして1864年から約3年間、太宰府、長州、京都間を忙しく行き来し、 薩長の有力者や土佐の同士たちと面談、坂本龍馬と共に薩長同盟を実現させます。 しかし大政奉還から一ヶ月後、京都・近江屋で刺客に襲われ龍馬と共に暗殺.....

坂本龍馬(1836年~1867年)【福岡人物伝】
勝海舟が失脚し、1865年 神戸海軍操練所が閉鎖されると、龍馬は一旦、鹿児島に身を寄せます。 そして5月には太宰府を訪れ五卿と面談します。この時に五卿の一人、東久世通禧(ひがしくぜみちとみ)は龍馬の印象を 「偉人なり、奇説家なり」と評しています。龍馬の行動は慌しく、その数日後には下関で桂小五郎と面会.....









目   次

福岡史伝…福岡の歴史をできる限り簡単にご紹介!

名所旧跡…メジャー観光地と観光バスは行かない隠れた旧跡

福岡人物伝…歴史は人が造る!福岡の歴史に登場した人々

意外な話…それってホント?意外すぎる話。

よくわかっていない事…歴史って考えれば考えるほど面白い!!

一夜漬け福岡史…時間がない忙しい人用のページ

福岡歴史年表…福岡2000年の歴史概要

名所旧跡フォトライブラリ…乱雑ですが写真集です

リンク…博物館、資料館、図書館へのリンクです。

余談…ひとり言的な話です

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はじめに…お願いと参考書

 
新着情報

2022.12.25

【記想録】是れを過ちと謂う

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【記想録】人を責むる者は・・・

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【記想録】馬耳東風って李白の言葉!?

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2022.8.27

【記想録】佐々木小次郎の経歴

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【記想録】完戸何某との決闘

2022.7.24

【記想録】夢想権之助の挑戦

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【記想録】行蔵は我に存す

名言・格言「黒板にちゅ~も~く!」
かざりなく質朴にして、けがれなく、いさぎよかるべし。
養生訓





意外な人物伝
 【益軒は損軒だった!】(1700年)-益軒先生の号について-

「貝原益軒屋敷跡」の碑
中央区荒戸
益軒先生は若き頃に藩主・黒田忠之より怒りを買い、浪人生活を送ります。 数年後に許され帰藩しそれから44年間、黒田藩に仕え「黒田家譜」を著し、また藩内の教育や施政に携わりますが、その間の号はなんと「損軒」だったというのです。 何故にして「損軒」なのか、その理由は残念ながら伝わっていないようです。
そして引退した先生は「益軒」と改め、「筑前国続風土記」を脱稿し四代藩主・黒田綱政に献上、本格的な執筆活動に入り「大和本草」、「和俗童子訓(わぞくどうじくん)」、「養生訓」 をはじめとする数多くの著作物を残すことになります。









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スポットライト人物伝


【シーボルト(しーぼると)】
(1796年~1886年)


1823年、長崎に来航した翌年に鳴滝塾を開き、患者の診察治療活動や集まった塾生に西洋医学、科学を教授します。 これにより鳴滝塾からは伊東玄朴、高野長英、二宮敬作、伊藤圭介の他に幾多の人材が輩出されます。 またの使命とする日本の動植物の情報を収集していますが、この時、貝原益軒の「大和本草」などの著作に触れ絶賛したといわれます。 1826年の江戸参府の際は、長崎街道を通り、 原田宿(現福岡県筑紫野市・.....[全文を表示]



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