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福岡人物伝
 【坂本龍馬】

勝海舟が失脚し、1865年 神戸海軍操練所が閉鎖されると、龍馬は一旦、鹿児島に身を寄せます。 そして5月には太宰府を訪れ五卿と面談します。この時に五卿の一人、東久世通禧(ひがしくぜみちとみ)は龍馬の印象を 「偉人なり、奇説家なり」と評しています。龍馬の行動は慌しく、その数日後には下関で桂小五郎と面会し薩長同盟を図りますが、 西郷隆盛が下関に現れなかったため、この時の同盟締結は失敗します。同盟が成ったのは翌年1月で、 情勢は倒幕に向かって一気に動き出しますが、その翌年1867年11月、 京都・近江屋で中岡慎太郎と共に刺客に襲われ維新を迎えることなくその生涯を終えることになりました。


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古屋佐久左衛門(1833年~1869年)【福岡人物伝】
筑後古飯(ふるえ)の庄屋の生まれで医学を志し大阪に出ますが、医学が性に合わない事を悟り、江戸に向かい英語や洋学を学び、洋学書の翻訳などを手がけます。また婿養子で古屋家を継ぎ幕臣となります。戊辰戦争では坂本龍馬を斬ったとされる今井信郎(のぶお)と共に衝鋒隊を率い北関東、越後、会津、箱館と転戦し最期は官.....

巌流島は豊前領だった!(現在の島の住人は?)【意外な話】
巌流島の住人? 宮本武蔵と佐々木小次郎が対決した巌流島は山口県の観光名所として有名ですが、江戸時代は豊前小倉藩の領地だったということです。これは「関ヶ原の戦い」で敗れ徳川家より本州の西の片隅に押し込められて不満を持つ毛利家を牽制するため方策だと想像されるのですが、実際のところはどう.....

中岡慎太郎(1838年~1867年)【福岡人物伝】
土佐の志士で五卿に随い太宰府に入り、五卿の衛士として仕えながら薩長同盟を画策します。 そして1864年から約3年間、太宰府、長州、京都間を忙しく行き来し、 薩長の有力者や土佐の同士たちと面談、坂本龍馬と共に薩長同盟を実現させます。 しかし大政奉還から一ヶ月後、京都・近江屋で刺客に襲われ龍馬と共に暗殺.....

坂本龍馬(1836年~1867年)【福岡人物伝】
勝海舟が失脚し、1865年 神戸海軍操練所が閉鎖されると、龍馬は一旦、鹿児島に身を寄せます。 そして5月には太宰府を訪れ五卿と面談します。この時に五卿の一人、東久世通禧(ひがしくぜみちとみ)は龍馬の印象を 「偉人なり、奇説家なり」と評しています。龍馬の行動は慌しく、その数日後には下関で桂小五郎と面会.....









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福岡史伝…福岡の歴史をできる限り簡単にご紹介!

名所旧跡…メジャー観光地と観光バスは行かない隠れた旧跡

福岡人物伝…歴史は人が造る!福岡の歴史に登場した人々

意外な話…それってホント?意外すぎる話。

よくわかっていない事…歴史って考えれば考えるほど面白い!!

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福岡歴史年表…福岡2000年の歴史概要

名所旧跡フォトライブラリ…乱雑ですが写真集です

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余談…ひとり言的な話です

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福岡史伝・平安
 【菅原道真大宰府流配】(901年)

太宰府市朱雀の「榎社」
大宰府に流配された菅原道真公は、二人の子供と味酒安行など数人の門弟と共に大宰府政庁の南に600m程は離れた謫居(たっきょ)に入ります。 子供はまだ幼い隈麿と紅姫でした。謫居での生活は想像が及ばないほどの過酷なもので、 道真公は幼い二人を連れてきたことを後悔したものと想像されます。 流配の翌年には隈麿が亡くなり、京都からは妻の死の知らせが入ります。そして道真公自身も病を得、903年に病没します。 紅姫の消息は不明なようですが「紅姫の供養塔」と言われる板碑が残っているそうです。
西鉄大牟田線を通勤通学に使用している方は「都府楼駅」と「二日市駅」のほぼ中間地点の東側に鳥居のあるこんもりとした森を見ることができると思いますが、 その森が短い間三人が暮らした謫居跡「榎社(えのきしゃ)」になります。

(2011.6.12)









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スポットライト人物伝


【大夫(たゆう)】
(西暦57年頃~)


西暦57年、奴国王の命により後漢に派遣され金印を持ち帰った人物です。中国・南北朝時代の432年頃に記された「後漢書」には「倭の奴国、貢物を奉って朝貢す。使者は大夫と自称す。」とのみ記載されています。大夫とは人名ではなく役職の事の様で、派遣された人物の氏名は伝わっていないようです。



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