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馬ヶ岳城跡(行橋市大谷)【名所旧跡・京築】
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福岡史伝…福岡の歴史をできる限り簡単にご紹介!

名所旧跡…メジャー観光地と観光バスは行かない隠れた旧跡

福岡人物伝…歴史は人が造る!福岡の歴史に登場した人々

意外な話…それってホント?意外すぎる話。

よくわかっていない事…歴史って考えれば考えるほど面白い!!

一夜漬け福岡史…時間がない忙しい人用のページ

福岡歴史年表…福岡2000年の歴史概要

名所旧跡フォトライブラリ…乱雑ですが写真集です

リンク…博物館、資料館、図書館へのリンクです。

余談…ひとり言的な話です

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はじめに…お願いと参考書

 
新着情報

2022.12.25

【記想録】是れを過ちと謂う

2022.12.4

【記想録】冷眼にて人を観る

2022.11.5

【記想録】人を責むる者は・・・

2022.10.15

【記想録】馬耳東風って李白の言葉!?

2022.9.18

【記想録】小敵の堅は大敵の擒なり

2022.9.13

【記想録】怒りを以って師を興すべからず

2022.8.27

【記想録】佐々木小次郎の経歴

2022.8.1

【記想録】完戸何某との決闘

2022.7.24

【記想録】夢想権之助の挑戦

2022.7.3

【記想録】行蔵は我に存す

名言・格言「黒板にちゅ~も~く!」
兵の形は水に象る
-軍は水の様に柔軟な動きを求められる-
孫子





福岡史伝・江戸
 【山田堰の建造】(江戸時代中期)

左側が「堀川用水」へ流れる水路
中央が「山田堰」、右手が筑後川本流
朝倉市山田にある山田堰は筑後川の北側の農地に農業用水を取水するため江戸時代に130年ほどかけて建造されました。
山田という土地(筑後川の北側の地域)は筑豊地区と筑後平野を隔てる山地の裾野に当たり、高低差で筑後川の豊富な水を利用する事が難しかったのかもしれません。この水不足を打開するために建造されたのが「山田堰」で、用水を田地に送った水路を「堀川用水」と呼びます。

山田堰は川をせき止め水の流れを変えるのではなく、川の底に巨石で石畳を敷き川底を僅かに盛り上げて一部の水を堀川用水へ導く方法が採られています。このため水かさが少ない時は堰は姿を現し、降雨で水量が増すと水没してしまいます。
「三連水車の里あさくら」にある
実物大のレプリカ三連水車
これは昔から氾濫を繰り返す筑後川に幾度となく堰を押し流された当時の地元民たちが考案した「自然の力に逆らわない究極の堰」の形なのかもしれません。
「堀川用水」は現在も農業用水として利用され、この「山田堰」より1500mほど下ったところに朝倉市の観光名所「朝倉三連水車」が置かれています。









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スポットライト人物伝


【月照(げっしょう)】
(1813年~1858年)


「安政の大獄」で幕府より追われる月照は西郷隆盛と共に薩摩に逃れようとします。 そして下関で西郷と別れた月照は筑前で野村望東尼の「平尾山荘」や太宰府の宿屋「松屋」に匿われます。 その後、平野國臣の案内を得て薩摩に入り西郷と再会しますが、 薩摩藩は月照の受け入れを拒否したため錦江湾で西郷と共に入水し亡くなりました。 西郷は助けられましたが死亡したことにされ極秘裏に奄美大島に流されました。



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