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福岡人物伝 【黒田長溥】 島津藩主の重豪(しげひで)の十三男で、黒田家に養子として入ります。 開明的な藩主で蘭学を取り入れ中洲には反射炉を建設するなどしています。 しかし1865年の「乙丑の獄」で筑前勤王党の弾圧を行い勤皇派を一掃します。 弾圧の原因はハッキリしていないのですが、 勤王党の過激な一派が長溥の重臣を暗殺した二つの事件が一因であるのは間違いないようです。 結果的にこの弾圧が明治以降、福岡藩に大きな影を落としていくことになるのです。 勤王派を尊重しながらも、幕府へも気を配らなくてはならない黒田藩の歴史的な事情がこの藩主の肩に重くのしかかっていたのかもしれません。 関連記事:長溥 |
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福岡史伝・平安 【藤原純友の乱】(941年) 四国伊予国で海賊討伐する立場であった藤原純友は936年頃に自ら海賊となり瀬戸内海で暴れまわりますが、941年2月、朝廷より鎮圧に派遣された軍に伊予国を制圧されます。 行き場をなくした純友は博多湾より大宰府へ侵攻し、都府楼に火をかけ、観世音寺で略奪を行います。 しかし同年5月には小野好古らの朝廷軍が到着し反乱軍を撃破します。 純友は伊予国に逃げますが、6月には捕縛され獄中で没しました。 (2011.6.18) |
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