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福岡人物伝 【毛利元就】 主家・大内氏を倒した陶晴賢(すえはるかた)を「厳島の戦い」で破り、大内氏の地盤を手にすると次に筑前へ進出し大友宗麟と対立します。 元就は宗麟に父を殺された秋月種実に兵を与え秋月に帰還させた上、抵抗させ、 次に大友氏の有力武将・高橋鑑種(たかはしあきたね)を調略し謀反を起させます。 しかし大友宗麟の支援する大内氏残党や尼子氏が毛利の背後を脅かしたため中国へ撤退せざるおえなくなりました。 関連記事:元就 |
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意外な話 【蜷城(ひなしろ)の由来】(300年代)-カワニナの城と二つの玉-
大昔、ここはよく肥えた豊かな地でしたが、古処山に羽白熊鷲と言う者があり、時々山を下りてきて村人を苦しめました。 これを聞いた神功皇后は、神に祈り神託を得て、『潮干玉』と『潮満玉』の二つの玉を授かります。 羽白熊鷲が攻めてくると、神功皇后は神託どおりに『潮干玉』で川の水を干上がらせ、カワニナ(川蜷・筑後川に生息する貝)にお願いして城を作らせます。そして羽白熊鷲がこの城を攻めるのを狙って、『潮満玉』で川に水を引き入れます。羽白熊鷲の軍は濁流に呑まれ滅び去り、村には平穏な日々が戻ったという事です。 美奈宜神社はその神を祀るために神功皇后によって建立されたと言われ、村を守った蜷の城(ニナノシロ)が訛ってこの地名、蜷城(ひなしろ)になったと言う事です。また神社の名・美奈宜(みなぎ)は蜷城(になぎ)と関連があると、美奈宜神社の案内板には書かれています。 写真は美奈宜神社の本殿になります。ここに記した内容は蜷城地区振興会によって建てられた案内板に書かれる「蜷城の名の由来」を要約したものです。 |
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