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名所旧跡・筑後地区南部 【水田天満宮】-筑後市水田- 筑後市にある水田天満宮は鎌倉時代に菅原道真公を祀り創建された神社になります。幕末の志士・清川八郎は「九州第二天満宮なり」と自著に記述していることが水田天満宮のページに記載されています。 この地は、筑後の志士・真木和泉が10年ほど蟄居したところで、現在も神社の南西100mほどのところに山梔窩(さんしか)という史跡が置かれています。ここには筑前の志士・平野國臣や前出の清川八郎が来訪し、尊王攘夷の策源地となっていたものと思われます。 また水田天満宮本殿の北に接するところには末社の恋木神社(こいのきじんじゃ)があり、恋する女性やカップルの聖地ともなっています。 そのほか境内には、スズメバチを退治して住民を助けた鷽の像やさざれ石などが置かれ、観光でも見どころがあります。 関連記事:山梔窩 |
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意外な話 【博多の人魚伝説】(1222年)-消えてなくなった人魚塚-
鎌倉時代の1222年、博多津(冷泉津)で150m(異説あり)に近い巨大な人魚が捕らえられ、櫛田神社に近い浜辺(現在の中洲東側の博多川辺り)に引き上げられたと言われます。その遺骸は近くの寺に埋葬されその寺は竜宮寺と改められました。そして埋葬された跡には人魚塚の碑が建てられますが、人魚は不老長寿に霊験あらたかと考えた参拝者によって少しずつ削り取られその碑は原形を留めなかったと言われています。現在の竜宮寺は戦国末期に当地に移築され、境内に建つ人魚塚は1958年に再建されたものになります。 この人魚に関しては、おそらく鯨ではないかとの想像もできるのですが、アニメ・ワンピースに登場する「しらほし姫」を想像した方が夢があっておもしいのかもしれません。 因みに応仁の乱が収まった2年後、室町時代の連歌師・宗祇は筑紫を旅した事を「筑紫道記」に記しています。その際、博多では竜宮寺に滞在しますが、「人魚伝説」を「筑紫道記」に記すことはなかったようです。 画像は大博通りに置かれている「博多古絵図」の一部です。中央には「人魚此辺ヨリ上ルト云フ」と記されています。この「博多古絵図」巻物の原本は聖福寺に所蔵されています。 |
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