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福岡史伝・南北朝・室町
 【針磨原の戦い】(1353年)

1353年1月22日、直冬が去り戦う名分を失くした少弐頼尚は大宰府の浦ノ城で九州探題・一色範氏の猛攻に晒されますが、 そこに宿敵・菊池武光の南朝軍が援軍に現われたため窮地を脱します。この時に少弐頼尚は武光に感謝し 「今より子孫七代まで、菊池の人々に向かって弓を引き、矢を放っことがあってはならない」と起請文を書いたといわれます。 そして2月2日には、大宰府より3㎞ほど南の針磨原で少弐氏の加わった南朝軍が一色の軍を撃破し(針磨原の戦い)、 翌年には再び南朝軍が「姪浜、飯盛の戦い」で一色軍を破り、再起不能となった範氏は長門に逃れます。
その後、九州探題が不在となると少弐頼尚は北朝方に寄り、南北朝の対立が再び表面化してくる事になります。
(2014.11.24)


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筑後川の戦い(1359年)【福岡史伝・南北朝・室町】
「針磨原の戦い」から6年、京都で足利尊氏が没すると、勢いづいた南朝方とこれに抗する武家方(北朝方)が筑後川の北側で激突します。 これが、地元では「大原合戦」と呼ばれる「筑後川の戦い」です。 この戦いは「関ヶ原の戦い」「川中島の戦い」と並び日本の三大合戦に挙げられるほど大きな戦いとなり.....

針磨原の戦い(1353年)【福岡史伝・南北朝・室町】
1353年1月22日、直冬が去り戦う名分を失くした少弐頼尚は大宰府の浦ノ城で九州探題・一色範氏の猛攻に晒されますが、 そこに宿敵・菊池武光の南朝軍が援軍に現われたため窮地を脱します。この時に少弐頼尚は武光に感謝し 「今より子孫七代まで、菊池の人々に向かって弓を引き、矢を放っことがあっ.....









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名言・格言「黒板にちゅ~も~く!」
一事を必ずなさしむと思わば、他の事破るもいたむべからず。人のあざけりをも恥ずべからず。万事に変えずしては、一つの大事成るべからず
吉田兼好





意外な話
 【筑後川の鵜飼の事】(明暦以前)-昔は瓢箪で鵜飼?-

江戸時代の初期頃までの筑後川の鵜飼漁は船は使わず泳いで漁を行っていたようです。

「江戸時代の初期頃までは漁師は大きな瓢箪を背につけてよりかかり、水にうかんで、右の手にススキの松明を持ち、左の手で2~5羽の鵜に縄をつけて操り、川の流れに乗りながら漁を行った。現在の鵜飼船では漁師が二人乗り、一人がとも(船の後方)で棹をさし、もう一人がかがり火で川底を照らして鵜を放つと、おのおのの鵜がハヤを捕らえた。鵜の首にはたなわと言うものを着け、その縄の先を指の間にはさみ多数の鵜が上下左右に入り乱れても、縄は乱れて絡むことがない。これは誠に奇功なる技である。」

これは「筑前国続風土記」巻十一 下座郡 長田 の項に書かれている鵜飼の概要になります。
福岡の奥座敷・原鶴温泉では5月末~9月末に鵜飼漁が行われています。こちらは鵜飼船による漁になりますが、瓢箪での漁も再現できれば観光資源となると思われるのですが、鵜縄が足に絡むと事故につながるので想像に止めて置いた方が良さそうです。









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スポットライト人物伝


【立花道雪(たちばなどうせつ)】
(1513年~1585年)


大友氏の猛将で、反旗を翻した立花鑑載(たちばなあきとし)を降して立花山城に入場するまでは戸次鑑連(べっきあきつら)の名で知られています。 毛利氏と連携した筑前の秋月、高橋、筑紫氏らが抵抗の兵を挙げると大友軍の中心武将として戦い、 また肥前の龍造寺氏、中国の毛利氏の侵攻を防ぐ活躍をします。 若い時に雷に打たれ足が不自由だったため戦場では輿に乗って指揮をとったといわれています。



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