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筑後川の戦い(1359年)【福岡史伝・南北朝・室町】
「針磨原の戦い」から6年、京都で足利尊氏が没すると、勢いづいた南朝方とこれに抗する武家方(北朝方)が筑後川の北側で激突します。 これが、地元では「大原合戦」と呼ばれる「筑後川の戦い」です。 この戦いは「関ヶ原の戦い」「川中島の戦い」と並び日本の三大合戦に挙げられるほど大きな戦いとなり.....

針磨原の戦い(1353年)【福岡史伝・南北朝・室町】
1353年1月22日、直冬が去り戦う名分を失くした少弐頼尚は大宰府の浦ノ城で九州探題・一色範氏の猛攻に晒されますが、 そこに宿敵・菊池武光の南朝軍が援軍に現われたため窮地を脱します。この時に少弐頼尚は武光に感謝し 「今より子孫七代まで、菊池の人々に向かって弓を引き、矢を放っことがあっ.....









目   次

福岡史伝…福岡の歴史をできる限り簡単にご紹介!

名所旧跡…メジャー観光地と観光バスは行かない隠れた旧跡

福岡人物伝…歴史は人が造る!福岡の歴史に登場した人々

意外な話…それってホント?意外すぎる話。

よくわかっていない事…歴史って考えれば考えるほど面白い!!

一夜漬け福岡史…時間がない忙しい人用のページ

福岡歴史年表…福岡2000年の歴史概要

名所旧跡フォトライブラリ…乱雑ですが写真集です

リンク…博物館、資料館、図書館へのリンクです。

余談…ひとり言的な話です

更新履歴…アップした日付

訂正履歴…間違い直しの履歴です

はじめに…お願いと参考書

 
新着情報

2022.12.25

【記想録】是れを過ちと謂う

2022.12.4

【記想録】冷眼にて人を観る

2022.11.5

【記想録】人を責むる者は・・・

2022.10.15

【記想録】馬耳東風って李白の言葉!?

2022.9.18

【記想録】小敵の堅は大敵の擒なり

2022.9.13

【記想録】怒りを以って師を興すべからず

2022.8.27

【記想録】佐々木小次郎の経歴

2022.8.1

【記想録】完戸何某との決闘

2022.7.24

【記想録】夢想権之助の挑戦

2022.7.3

【記想録】行蔵は我に存す

名言・格言「黒板にちゅ~も~く!」
善く戦う者は勝ち易きに勝つ者なり
-戦(いくさ)上手とは、筋道を立てて簡単に勝ってしまう者の事である-
孫子





名所旧跡・筑豊地区
 【貝原益軒先生学習地の碑】-飯塚市八木山-



貝原益軒先生学習地の碑

【貝原益軒学習の碑】

この約40坪の宅地は貝原益軒か8才から11才(1638~1641年)までの幼年時代を過ごした住所です。 貝原益軒(1630~1714年)は福岡藩士貝原寛斎の子として福岡城内で生まれ、 忠之・光之・綱政の三君に仕えました。8才の時、父に従って飯塚市八木山の知行所に移り住みました。ここで父や兄から書字を学び、19才で忠之の御納戸御召料方となりました。しかし、2年後に忠之の怒リにふれ、27才の時父のとりなしで光之に仕えるようになるまで、長い浪人生活を送りました。その後知行二百石となり、藩主・世子に待講し、藩士に授講しました。 光之の代に始まる藩文治主義改革のブレーンとして佐賀藩との国境問題に奔走、藩命により「黒田家譜」「筑前国続風土記」を編述し、また重臣にしぱしば諌言書を出しました。
医学者・儒学者・本草学者であり、また学問の他に、教育や経済の分野でも功績を残しました。 主な著書に「養生訓」「大和本草」「慎思録」「大疑録」などがあり、 その膨大な著書は多く平易で流麗な和文で書かれたので、よく大衆の間に普及しました。

飯塚市

「貝原益軒学習の碑」の案内板より











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スポットライト人物伝


【栗隈王(くるくまおう)】
(?~676年)


「白村江の戦い」から四年後、668年7月に栗隈王は防備が整いつつあった筑紫に赴任し筑紫率(つくしのかみ)の地位につきます。 その後、翌1月には蘇我赤兄(そがあかえ)が筑紫宰(つくしのかみ)に任命されますが、赤兄は赴任した形跡が見当たらず、 実務は栗隈王が執っていたと思われ、671年には再び栗隈王が筑紫率に任命されます。この辺りの人事については、後の「壬申の乱」 に繋がる派閥闘争が既に始まっていたこ.....[全文を表示]



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