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針目城落城の原因(自らの行いで破滅した城番)【福岡悲話】
大友宗麟が「耳川の戦い」で島津軍に大敗すると筑前東南部では秋月種実が宗麟に対し叛旗を翻します。 種実は大友勢の抑止のため筑前と豊後との境界地帯の穂坂(原鶴温泉の東方)に針目城を築き、初山九兵衛という人物を城番とします。 ところがこの武将、女癖が悪かった様で、我が部下の高久保彦次郎という者の容姿端.....









目   次

福岡史伝…福岡の歴史をできる限り簡単にご紹介!

名所旧跡…メジャー観光地と観光バスは行かない隠れた旧跡

福岡人物伝…歴史は人が造る!福岡の歴史に登場した人々

意外な話…それってホント?意外すぎる話。

よくわかっていない事…歴史って考えれば考えるほど面白い!!

一夜漬け福岡史…時間がない忙しい人用のページ

福岡歴史年表…福岡2000年の歴史概要

名所旧跡フォトライブラリ…乱雑ですが写真集です

リンク…博物館、資料館、図書館へのリンクです。

余談…ひとり言的な話です

更新履歴…アップした日付

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はじめに…お願いと参考書

 
新着情報

2022.12.25

【記想録】是れを過ちと謂う

2022.12.4

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2022.10.15

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2022.9.13

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2022.7.24

【記想録】夢想権之助の挑戦

2022.7.3

【記想録】行蔵は我に存す

名言・格言「黒板にちゅ~も~く!」





わかっていない事
 【親魏倭王印はどこにある?】-もう一つの金印が発見されれば!!-

西暦238年、魏の曹叡(曹操の孫)は朝貢した倭王の卑弥呼に対し「親魏倭王」の称号を与え金印を授けます。中国の史書では倭国が受けた金印はこの「親魏倭王」印と後漢の時代に送られた「漢委奴國王」印の二つだけになり、後者は江戸時代に現在の福岡県の志賀島で発見されています。そしてもし前者の「親魏倭王」印が発見される事になれば、その地が幻の邪馬台国である可能性が非常に高くなるのです。

三国志の倭人の項ではこの「親魏倭王」印の事が次のとおり書かれています。
今以汝為親魏倭王假金印紫綬装封帯方太守假授汝
今、汝(卑弥呼)を以って「親魏倭王」と為し、金印紫綬を装封(包装封印)して帯方太守へ送り汝に与える

ここには「親魏倭王と為し」と書かれているのみで、この金印に「親魏倭王」と刻印されていたかは不明です。ただ「親魏倭王」と任命されたからには刻印も「親魏倭王」であった可能性は低くはないと思われます。もしもそうであったならば、印の文字構成が「王朝名」+「民族名」+「部族や国名」という定石には例外があるとなるわけで、刻印の文字には王朝、民族、部族、国名の他に形容詞や動詞が入る可能性が出てくるのです。

もし「親魏倭王」印が発見されることがあれば、邪馬台国の所在地ばかりではなく、「漢委奴國王」の読み方にも大きな影響を与えるのかもしれません。 しかし三国志「親魏倭王」印の記事には假(仮)と書かれており、一旦は帯方太守の劉夏の元に送られたのはまずは間違いなのでしょうが、その後に邪馬台国まで無事に届けられたのかは、残念ながらそこには記載されていない様です。









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スポットライト人物伝


【一色範氏(いっしきのりうじ)】
(?~1369年)


「多々良浜の戦」に勝利した尊氏に九州探題を命じられた一色範氏はそのまま筑前に残りますが、 これに「筑前に二人の主は要らず」と反発したのが少弐頼尚で両者は争うことになります。 この武家派同士の戦いに乗じ、南朝方の菊池氏も再び肥後から筑後筑前へ進出してきます。 範氏はまず菊池氏と手を結び1351年「月隈・金隈の戦い」で少弐氏と、1353年「針摺原の戦い」で菊池・少弐氏の連合軍と争います。 しかし「針摺.....[全文を表示]



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