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平貞能(?~?)【福岡人物伝】
鎮西反乱が起こると1181年、筑紫に派遣されその翌年には乱を平定し一旦帰還しますが、都は木曽義仲の軍が迫り大混乱の中にありました。貞能は「都に留まるべき」と主張しますが、平家一門は西へ落ちて行き、仕方なく貞能もその後を追って大宰府に入ります(平家物語では東国に向かい宇都宮朝綱の元に身を寄せたとされて.....

鎮西反乱-治承・寿永の乱-(1180年~1185年)【福岡史伝・平安】
1180年の後白河天皇の第三皇子の以仁王(もちひとおう)の令旨(りょうじ)により、日本各地で平家に対する募る不満が爆発します。京では源頼政が以仁王に従い、伊豆では源頼朝、木曽では源義仲が挙兵します。 以仁王自身は平家の追手に追い詰められ討たれますが令旨は各地に届けられ、12月には肥後の菊池隆直が反.....









目   次

福岡史伝…福岡の歴史をできる限り簡単にご紹介!

名所旧跡…メジャー観光地と観光バスは行かない隠れた旧跡

福岡人物伝…歴史は人が造る!福岡の歴史に登場した人々

意外な話…それってホント?意外すぎる話。

よくわかっていない事…歴史って考えれば考えるほど面白い!!

一夜漬け福岡史…時間がない忙しい人用のページ

福岡歴史年表…福岡2000年の歴史概要

名所旧跡フォトライブラリ…乱雑ですが写真集です

リンク…博物館、資料館、図書館へのリンクです。

余談…ひとり言的な話です

更新履歴…アップした日付

訂正履歴…間違い直しの履歴です

はじめに…お願いと参考書

 
新着情報

2022.12.25

【記想録】是れを過ちと謂う

2022.12.4

【記想録】冷眼にて人を観る

2022.11.5

【記想録】人を責むる者は・・・

2022.10.15

【記想録】馬耳東風って李白の言葉!?

2022.9.18

【記想録】小敵の堅は大敵の擒なり

2022.9.13

【記想録】怒りを以って師を興すべからず

2022.8.27

【記想録】佐々木小次郎の経歴

2022.8.1

【記想録】完戸何某との決闘

2022.7.24

【記想録】夢想権之助の挑戦

2022.7.3

【記想録】行蔵は我に存す

名言・格言「黒板にちゅ~も~く!」
これを望めば木鶏に似たり
-木で彫った鶏のように何事にも動じない様子-
荘子





福岡史伝・戦国
 【耳川の戦い-筑前・筑後-】(1578年)

高城川古戦場(後方の小高い山が高城)
同族間で争いを繰り広げていた島津氏は貴久が頭主になると、周辺豪族を従え勢力を拡大します。日向の伊東氏も「木崎原の戦い(1572年)」で貴久の子・島津義久に破れ、5年後には日向を奪われ豊後大友氏の元へ逃れ救いを求めます。これに大友宗麟は島津氏との対決を決意し日向へ大軍を向けます。
1578年11月、戦いは現在の宮崎県木城町高城辺りで行われました。合戦前には大友の武将たちに意見の不一致があり、中途半端な状況で一部の武将が戦いを始め、これに他の軍も引きずられるように戦線に加わります。大友軍は緒戦で敵を蹴散らした勢いで島津軍本隊と戦うため高城川(小丸川)を渡りますが、そこへ四方から一斉に島津軍が突撃し、大友の軍勢は大混乱に陥り形勢は逆転、北へ向けて敗走します。島津軍はこれを追い20km以上離れた耳川に追い詰めます。混乱を極めた敗走の軍は川を渡る手立てもなく次々に討たれ、川を渡ろうとした者も底の深い流れに呑まれて行きます。こうして大友宗麟は頼りとした百戦錬磨の将兵たちの多くを耳川に失い、以後、急速に勢力を縮小して行く事になるのです。

大友方のこの大敗で、筑前、筑後も風雲急を告げます。 筑後の諸豪族は勢力を拡大する容赦のない龍造寺隆信になびき、筑前南東部では秋月種実が大友の筑前諸城と本拠地・豊後を分断、筑前西部では龍造寺とつながる原田信種が勢力を拡大し、肥前南東部からは筑紫広門が龍造寺と共に筑前南部の大友方の城を狙います。大友の重鎮・立花道雪は養子の立花統虎(宗茂・高橋紹運の長男)に立花城を守らせ、自らは軍勢を率い筑後勢力と対峙し、岩屋城の高橋紹運は東に秋月種実と西に筑紫広門の両面の敵を抱える情勢となります。
大友方の多くの将兵が斃れた耳川
1584年には龍造寺隆信が「沖田畷の戦い」で島津軍に敗れ討死するも、翌年には頼りの立花道雪も病没し、大友氏は窮地に陥ります。島津勢は肥前、筑後の兵をも取り込み益々勢力を増し攻勢に出ます。これに抗す手立てを失くした豊後の大友宗麟は遂に大坂に出向き豊臣秀吉に救援を求める事になるのです。


写真の「高城川古戦場」は宮崎県児湯郡木城町高城。「耳川」は宮崎県日向市美々津町で撮影したものになります。









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スポットライト人物伝


【奴国王(なこくおう)】
(西暦57年頃~)


倭国の最南端にあった国の王で、西暦57年に「大夫(だゆう)」という役職の使者を後漢に派遣します。 これに対し当時の皇帝であった光武帝は金印を送りますが、これが江戸時代に志賀島の田地より掘り出され、 現在は福岡市博物館に所蔵されている「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」印になります。



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