■福岡史伝…福岡の歴史をできる限り簡単にご紹介!
■名所旧跡…メジャー観光地と観光バスは行かない隠れた旧跡
■福岡人物伝…歴史は人が造る!福岡の歴史に登場した人々
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■よくわかっていない事…歴史って考えれば考えるほど面白い!!
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■福岡歴史年表…福岡2000年の歴史概要
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■はじめに…お願いと参考書
2022.12.25
【記想録】是れを過ちと謂う
2022.12.4
【記想録】冷眼にて人を観る
2022.11.5
【記想録】人を責むる者は・・・
2022.10.15
【記想録】馬耳東風って李白の言葉!?
2022.9.18
【記想録】小敵の堅は大敵の擒なり
2022.9.13
【記想録】怒りを以って師を興すべからず
2022.8.27
【記想録】佐々木小次郎の経歴
2022.8.1
【記想録】完戸何某との決闘
2022.7.24
【記想録】夢想権之助の挑戦
2022.7.3
【記想録】行蔵は我に存す
浮羽の田園にある浮羽島
【浮羽島の由来】 日本の一番古い正史、日本書紀や八世紀に出来た風土記に次の説話が記されています。 景行天皇の十八年八月(おおよそ1900年前) 九州御巡幸の時、天皇は八女からこの地にお出になって御食事をなさいましたが、 お供のお料理番たちが盃を持って来るのを忘れていました。 天皇は、「惜(あたら)しきかも、朕が酒盃(うき)はや」(おしい事をしたものだ、私の盃を忘れたとは)と嘆かれました。その頃さかずきを「うき」と言っていました。それ以来この地を「宇枳波夜(うきはや)」の郡と呼び、なまって生葉、浮羽と呼ぶ様になり、村名・町名・郡名の もととなりました。 ここには天皇の杖が根づいたと言われる逆杉があって、台風や落雷で枯れても住民たちが植えついで大切にしてきました。浮羽の地が古代から中央の史書に記されていることは意義深いことでしょう。 うきは市教育委員会
【菊池武光(きくちたけみつ)】(1319年~1373年)菊池武時の十男で、母親方の後ろ盾がなかったためか十三代頭主の兄・菊池武重の没後、弟の武士(たけし)にその座を譲ります。しかし公卿の娘の子であった武士は武力、統率力に欠けたのか頭主の座を廃されて、武光が十五代頭主となります。 その後 武光は後醍醐天皇の皇子・懐良親王を迎え着々と勢力を拡大し筑後から筑前へ侵攻します。 この時、筑前では北朝方の少弐頼尚と九州探題・一色範氏との間で内部抗争が起こっていま.....[全文を表示]
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