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福岡史伝・鎌倉 【文永の役】(1274年)
19日には糸島半島東部の今津に姿を現し、一部の軍を上陸させ陸路、博多方面へ侵攻させます。 翌20日には軍船を博多港北西周辺に集結させ、室見川河口付近から上陸を開始します。そして陸路今津より進んできた軍と共に、日本軍を攻撃圧倒し、赤坂(市街地西部)まで押し寄せました。 また元軍の別働隊が箱崎方面(博多の東方)へ上陸し、箱崎八幡宮一帯へ火をかけ町を混乱に陥れました。守りきれなくなった日本軍は態勢を立て直すため、とりあえず水城まで撤退したといわれます。 翌日、元軍の大宰府侵攻かと思われましたが、夜が明けると元軍は博多湾より消え去っていました。 (2011.5.14) |
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