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福岡史伝・弥生・古墳 【漢委奴国王の金印】(57年)
中国4千年の歴史の一部を長々と書いてしまいましたが、ここからが本題です。 「後漢書(ごかんじょ)」は劉裕が建てた「宋」の范曄(はんよう)という人物によって書かれました。 ちなみに「三国志」は著者の陳寿自身や親、祖父が生きた時代を記述していますが、 「後漢書」は後漢が倒れて200年を経て書かれたものなので、当然古い史書などを頼りとしています。 その中のひとつが陳寿の「三国志」といわれ、そこから引用されたと思われる部分が各所に見られるそうです。 「後漢書」の中には次の一節があります。 「建武中元二年、倭の奴国、貢を奉じて朝賀す。使人は自ら大夫と称す。倭国の極南界なり。光武、賜るに印綬を以ってす。」 これは西暦57年のことで、この頃、倭国の南端に奴国という王国が存在したということになります。 そして1700年を経た江戸時代にこの金印が、志賀島の田地から二人の農民の手により掘り出され、大騒ぎになるのです。 (2011.7.24) |
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