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意外な話
 【筑後川の鵜飼の事】(明暦以前)-昔は瓢箪で鵜飼?-

江戸時代の初期頃までの筑後川の鵜飼漁は船は使わず泳いで漁を行っていたようです。

「江戸時代の初期頃までは漁師は大きな瓢箪を背につけてよりかかり、水にうかんで、右の手にススキの松明を持ち、左の手で2~5羽の鵜に縄をつけて操り、川の流れに乗りながら漁を行った。現在の鵜飼船では漁師が二人乗り、一人がとも(船の後方)で棹をさし、もう一人がかがり火で川底を照らして鵜を放つと、おのおのの鵜がハヤを捕らえた。鵜の首にはたなわと言うものを着け、その縄の先を指の間にはさみ多数の鵜が上下左右に入り乱れても、縄は乱れて絡むことがない。これは誠に奇功なる技である。」

これは「筑前国続風土記」巻十一 下座郡 長田 の項に書かれている鵜飼の概要になります。
福岡の奥座敷・原鶴温泉では5月末~9月末に鵜飼漁が行われています。こちらは鵜飼船による漁になりますが、瓢箪での漁も再現できれば観光資源となると思われるのですが、鵜縄が足に絡むと事故につながるので想像に止めて置いた方が良さそうです。






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最後の仇討(1880年)【福岡史伝・幕末・維新】
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吉塚の由来(2021.3.28)【余談】
立花統虎(むねとら・宗茂)が籠る立花城を攻撃する島津の兵は、秀吉の軍が九州に上陸した情報を得ると南に向けて撤退を開始します。ひと月ほど前に岩屋城の戦いで実父・高橋紹運を島津に討たれた統虎は、これを機に城を出て攻撃に転じ、島津方の星野氏の守る高鳥居城に攻めかかります。その時の事が『黒田家譜』で次の通り.....

親魏倭王印はどこにある?(もう一つの金印が発見されれば!!)【わかっていない事】
西暦238年、魏の曹叡(曹操の孫)は朝貢した倭王の卑弥呼に対し「親魏倭王」の称号を与え金印を授けます。中国の史書では倭国が受けた金印はこの「親魏倭王」印と後漢の時代に送られた「漢委奴國王」印の二つだけになり、後者は江戸時代に現在の福岡県の志賀島で発見されています。そしてもし前者の「親魏倭王」印が発見.....

男装の漢詩人・原采蘋(酒豪の女流詩人)【意外な人物伝】
福岡では幕末維新期に男装の女医・高場乱が登場しますが、一世代前の1798年にもう一人の男装の漢詩人・原采蘋(はらさいひん)が秋月に生まれています。 父親は甘棠館で亀井南冥に学んだ原古処で、秋月藩の儒学者。兄と弟がいましたが、病弱だったため古処は采蘋に期待をかけ、中国地方や九州各地への遊歴に伴います.....

朝倉の三連水車(朝倉市)【名所旧跡・朝倉・うきは】
朝倉の三連水車と堀川用水と山田堰 朝倉の三連水車の観光に訪れた際には水車の見学だけではなく、何故この地に水車が必要だったのか関心をもっていただけると意義のある観光になるかもしれません。 筑後川が大きく南に蛇行する山田の地に江戸時代に設けられた山田堰。この堰は筑後川の北側に農業.....

儀右衛門 からくり太鼓時計(2020.6.1)【余談】
このモニュメントは、郷土が生んだ偉大な発明家「日本第一細工師」田中久重翁(1799-1881)の生誕二百年を祝い、その業績を顕彰するため久留米市制施行百十月年記念事業として設置するものです。 この時計は、翁が製作した太鼓時計をモチーフとしており、定刻になると前面の時計盤が回転し、からくり儀右衛.....

破るる夢も惜しからず(2019.10.17)【余談】
鶯や破るる夢も惜からず 温泉に通ふ下駄と雲雀の声高し 江戸時代、黒田藩中老・立花秋水の作。 現在の筑紫野市二日市温泉に滞在中の一句になります。 この辺りは天拝山の麓で、また田園地帯が広がる地域でもあり、ウグイスやヒバリの声を聞きながの温泉通いとはなんとも粋じゃござ.....

勝海舟の黒田長溥・評(蘭学の先駆だった福岡藩)【意外な人物伝】
勝海舟は福岡藩第11代藩主・黒田長溥について氷川清話(講談社学術文庫)で次の通り語っています。 「幕府時代の大諸侯にして、最も早く外国の事に注意したるは黒田長溥公であつた。」 黒田長溥の蘭癖は流行に乗った他藩のまね事ではなく有力諸侯より先んじていたことが伺われます。 「同公は本草学.....

筑後川の鵜飼の事(昔は瓢箪で鵜飼?)【意外な話】
江戸時代の初期頃までの筑後川の鵜飼漁は船は使わず泳いで漁を行っていたようです。 「江戸時代の初期頃までは漁師は大きな瓢箪を背につけてよりかかり、水にうかんで、右の手にススキの松明を持ち、左の手で2~5羽の鵜に縄をつけて操り、川の流れに乗りながら漁を行った。現在の鵜飼船では漁師が二人乗り、一人が.....

豊前、筑前、筑後について(2018年12月31日)【余談】
現在の福岡県は大まかに分けて北部と南部の二つの地域に分かれていて、同じ福岡県人でも言葉やイントネーション、文化が微妙に違います。これは佐賀県でも同様のようで、山に隔てられた北部の玄海灘側と南部の有明海側では文化がだいぶ違うと佐賀県人の方から聞いた事があります。このような事は九州以外の他県でもあるのか.....


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福岡史伝…福岡の歴史をできる限り簡単にご紹介!

名所旧跡…メジャー観光地と観光バスは行かない隠れた旧跡

福岡人物伝…歴史は人が造る!福岡の歴史に登場した人々

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人はどんなものでも決して捨つべきものではない
勝海舟





一夜漬け福岡史
 【江戸時代】-「黒田騒動」と名著の刊行-

金龍寺の「貝原益軒像」
二代藩主の黒田忠之(ただゆき)は自分を藩主の座に就けた栗山大善と不仲となり修復不可能となると、 遂に栗山大善より幕府へ「謀反の意思あり」と訴えられます。 幕閣は関ヶ原以来の徳川家と黒田家の関係を配慮し、栗山大善を南部藩預かり、 忠之の寵臣を高野山への追放し事を収め、黒田藩の改易は回避されました。 因みにこの事件は「加賀騒動」、「伊達騒動」と共に江戸時代の三大お家騒動と呼ばれています。

江戸時代の中盤には文化の隆盛を迎え、貝原益軒(かいばらえきけん)の「養生訓」「筑前国続風土記」「大和本草」、 宮崎安貞(みやざきやすさだ)の「農業全書」などの名著が福岡より世に出ます。
そして1784年には志賀島より「金印」が発見され、福岡藩校の甘棠館(かんとうかん)館長・亀井南冥(かめいなんめい)により 「後漢書(ごかんじょ)」に記載される後漢の皇帝が奴国王に送った「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」印と鑑定されます。 これが現在、福岡市博物館に所蔵される金印になります。

(2012.11.27)









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スポットライト人物伝


【味酒安行(うまさかやすゆき)】
(?~?)


味酒安行は菅原道真の配流に従った人物です。道真の死去後は遺骸を牛車に乗せて安楽寺へ運び埋葬し、翌年には祠廟を創建します。 この味酒安行が立てた祠廟が後の太宰府天満宮で、現在では沢山の参拝客、観光客が訪れる福岡一の観光地となっています。



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