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余談 【薩摩街道 松崎宿「油屋」】 数ヶ月前の事になりますが、西郷隆盛の泊まったといわれる小郡市松崎の「油屋」の撮影に行って来ました。残念ながら史跡「油屋」は建替中で足場が組んであり見学する事はできませんでしたが、玄関の撮影だけはどうにか叶いました。 薩摩街道は島津藩が参勤交代で通った街道で松崎宿はその宿場町ということです。昔も薩摩に向かうには旧国道3号線あたりの道を使用していたと思い込んでいたのですが、GoogleMapによると薩摩街道が旧国道3号線とほぼ一致するのは熊本県植木市以南になるようです。江戸時代に肥後や薩摩に向かうには今の国道3号線ではなくこの薩摩街道を進んだものと思われます。 ところで史跡「油屋」の建替工事は平成31年3月12日まで続くようです。ただ右写真のとおり骨組みはほぼ完成していたので母屋の外観が見れるのはもう少し早いのかもしれません。大河ドラマ「西郷どん」の最終回に合えばよいのですが・・・。 関連記事:西郷隆盛 |
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意外な話 【筑後川の鵜飼の事】(明暦以前)-昔は瓢箪で鵜飼?- 江戸時代の初期頃までの筑後川の鵜飼漁は船は使わず泳いで漁を行っていたようです。 「江戸時代の初期頃までは漁師は大きな瓢箪を背につけてよりかかり、水にうかんで、右の手にススキの松明を持ち、左の手で2~5羽の鵜に縄をつけて操り、川の流れに乗りながら漁を行った。現在の鵜飼船では漁師が二人乗り、一人がとも(船の後方)で棹をさし、もう一人がかがり火で川底を照らして鵜を放つと、おのおのの鵜がハヤを捕らえた。鵜の首にはたなわと言うものを着け、その縄の先を指の間にはさみ多数の鵜が上下左右に入り乱れても、縄は乱れて絡むことがない。これは誠に奇功なる技である。」 これは「筑前国続風土記」巻十一 下座郡 長田 の項に書かれている鵜飼の概要になります。 福岡の奥座敷・原鶴温泉では5月末~9月末に鵜飼漁が行われています。こちらは鵜飼船による漁になりますが、瓢箪での漁も再現できれば観光資源となると思われるのですが、鵜縄が足に絡むと事故につながるので想像に止めて置いた方が良さそうです。 |
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