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2022.12.25
【記想録】是れを過ちと謂う
2022.12.4
【記想録】冷眼にて人を観る
2022.11.5
【記想録】人を責むる者は・・・
2022.10.15
【記想録】馬耳東風って李白の言葉!?
2022.9.18
【記想録】小敵の堅は大敵の擒なり
2022.9.13
【記想録】怒りを以って師を興すべからず
2022.8.27
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2022.8.1
【記想録】完戸何某との決闘
2022.7.24
【記想録】夢想権之助の挑戦
2022.7.3
【記想録】行蔵は我に存す
船迫窯跡
国指定史跡 船迫窯跡(平成11年1月28日指定) 平成7年、船迫地区の農業基盤整備に伴う発掘調査で、水田下より大規模な工房建物跡が発見されました。これを契機に窯跡の確認調査を実施したところ、9基の窯跡が保存状態も 良く確認されたことから、平成11年に国の史跡に指定されました。 船迫窯跡では約1300年前の古墳時代から焼き物の生産が始まりました。ここから西側の茶臼山東窯跡群では、6世紀後半に須恵器(水甕やお碗など灰色の硬い焼き物)を焼き、また7世紀中頃になると須恵器に加え、瓦の生産も始まりました。さらに奈良時代には、ここ堂がえり地区で豊前国分寺の屋根瓦をつくるため、巨大な建物を2棟建て、粘土から瓦をつくり、乾燥させ、堂がへり1号・2号窯で焼きました。 船迫窯跡は須恵器生産から瓦生産に至る変遷が分かり、また工房と窯跡が一体となった全国でも数少ない貴重な遺跡です。ここ船迫窯跡公園には奈良時代の復元工房建物や、山中には 発掘調査された窯跡をそのまま見学できる窯跡展示建物、出土遺物の展示や陶芸体験ができる体験学習館があります。
瓦工房建物
瓦を製作した工房建物(奈良時代) 幅11.5m、長さ30mもある巨大建物が2棟並んで発見されました。しかし柱穴は10~15㎝と小さく、柱並びも悪いことから、豊前国分寺で使用する大量の瓦をここで製作し、乾燥、窯焼きまで保管するため、短期間に使用された、壁もない作業小屋的な建物と考えられます。 このような大型瓦工房建物跡は平城宮の瓦を生産した市坂瓦窯工房跡(上人ヶ平遺跡:京都府木津川市)に次いで2例目で大変貴重です。
【山鹿秀遠(やまがひでとう)】(?~1185年?)豊前国との境、筑前国山鹿の豪族です。治承・寿永の乱では平家方に属し、大宰府を追われた安徳天皇と平家一門に最後まで付き従います。壇の浦では平家の主力として戦いますが、平家一門と運命を共にしたものと思われ、以後は歴史に登場することはないようです。ところで山鹿いえば熊本の山鹿市が有名ですが、山鹿氏は菊池氏の同族といわれることから菊池市に隣接する山鹿市と筑前の山鹿の地名には何らかの関係があるのかもしれませ.....[全文を表示]
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