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検索の結果 6件の記事が見つかりました


博多の人魚伝説(消えてなくなった人魚塚)【意外な話】
博多冷泉町にある竜宮寺には人魚の物と言われる骨が安置され、「人魚伝説」が伝えられています。 鎌倉時代の1222年、博多津(冷泉津)で150m(異説あり)に近い巨大な人魚が捕らえられ、櫛田神社に近い浜辺(現在の中洲東側の博多川辺り)に引き上げられたと言われます。その遺骸は近くの寺に埋葬されその寺は竜.....

歴史語呂合わせ(2016年11月25日)【余談】
中学時代、秀才と言われる学友は受験前になるとこの歴史語呂合わせを日常会話の中で披露して人を笑わせていましたが、勉強嫌いな私はほとんど興味をそそられる事はありませんでした。 高校受験には間に合いませんでしたが、最近、多少興味を持ったのでここに残そうと思います。 漢倭奴国王印(57年)…金印.....

応仁の乱-筑前-(1467~1478年)【福岡史伝・南北朝・室町】
少弐氏と九州探題に命じられた渋川氏との反目に乗じて筑前に勢力を伸ばしていた大内氏は、1467年に「応仁の乱」が起こると兵を京都に向けます。 対馬に逃れていた少弐政資(この時点では頼忠)は対馬代官の宗氏の支援を受け筑前に上陸し、手薄となった大内勢を筑前より追うことに成功します。 しかし.....

九州南北朝年表(1336年~)【福岡史伝・南北朝・室町】
九州での南北朝の混乱は60年近く続きます。1392年に両朝が統一し、この戦乱は一旦収まるかに見えました。しかし、今川氏が九州を去った後には豊前、筑前へ大内氏が触手を伸ばします。このため騒乱は応仁の乱を経て戦国時代まで続きます。 以下に筑前、筑後、肥前を中心にした南北朝~室町時代後半の年表を記載しま.....

南北朝・室町時代(「多々良浜の戦い」から南北朝の動乱へ)【一夜漬け福岡史】
1336年、後醍醐天皇軍との戦いで不利に陥った足利尊氏は、いったん京都から九州に落ち態勢を立て直そうとしますが、九州に上陸早々、 肥後より攻め上って来た菊池武敏の軍と博多より4キロ程北東の多々良浜で対決することになります。 決戦を前に尊氏は多々良川の対岸に布陣する敵の大軍を目の当たりにし.....

筑前にも超能力者がいた?(筑前に存在した幻術師・火亂)【意外な人物伝】
「三国志演義」には于吉(うきつ)、華佗(かだ)、左慈(さじ)などの特殊な能力を持った人物が登場しますが、日本の戦国時代にも果心居士(かしんこじ)という不思議な能力を持った人物が現れ、信長や秀吉、家康といった時の人を翻弄したといわれています。この果心居士が実在の人物かどうかは読者の判断にお任せするしか.....









目   次

福岡史伝…福岡の歴史をできる限り簡単にご紹介!

名所旧跡…メジャー観光地と観光バスは行かない隠れた旧跡

福岡人物伝…歴史は人が造る!福岡の歴史に登場した人々

意外な話…それってホント?意外すぎる話。

よくわかっていない事…歴史って考えれば考えるほど面白い!!

一夜漬け福岡史…時間がない忙しい人用のページ

福岡歴史年表…福岡2000年の歴史概要

名所旧跡フォトライブラリ…乱雑ですが写真集です

リンク…博物館、資料館、図書館へのリンクです。

余談…ひとり言的な話です

更新履歴…アップした日付

訂正履歴…間違い直しの履歴です

はじめに…お願いと参考書

 
新着情報

2022.12.25

【記想録】是れを過ちと謂う

2022.12.4

【記想録】冷眼にて人を観る

2022.11.5

【記想録】人を責むる者は・・・

2022.10.15

【記想録】馬耳東風って李白の言葉!?

2022.9.18

【記想録】小敵の堅は大敵の擒なり

2022.9.13

【記想録】怒りを以って師を興すべからず

2022.8.27

【記想録】佐々木小次郎の経歴

2022.8.1

【記想録】完戸何某との決闘

2022.7.24

【記想録】夢想権之助の挑戦

2022.7.3

【記想録】行蔵は我に存す

名言・格言「黒板にちゅ~も~く!」
しやせまし、せずやあらましと思う事は、おおようはせぬがよきなり
-やるかやらぬか迷う時は、たいてい止めておいた方がよい-
徒然草





Fアイテム
 【筑紫に置かれた「漏刻」とは?】(飛鳥時代)-中大兄皇子の水時計研究-

漏刻とは水時計の事ですが、中大兄皇子がこの漏刻の研究をしていた事はあまり知られていません。

大宰府政庁の東側の小高い丘(月山)には漏刻が設置されていたといわれ、皇子の母・斉明天皇の藁葬(こうそう・仮埋葬)の地の恵蘇八幡宮にも漏刻が置かれていたという事です。
現在ではその漏刻は残っておらず、また具体的な形状も伝わっていないようですが、段々に置かれた石桶に上段部の石桶から水を貯めて行き、一定量を超えた水は管を通して下段の石桶に流れ落ちる仕組みで、各桶に設置されたメモリのふられたフロートの浮く度合で時間を計る方法だった様です。数年前まで西鉄・太宰府駅前には漏刻のレプリカが置かれていたはずなのですが、もったいない事に現在では撤去されてしまった様です。
ところで奈良県の明日香村には斉明天皇の時代に作られたとされる酒船石遺跡があり、ここには放射状に溝が彫られた「酒船石」と言う巨石が存在しています。そしてこの巨石も中大兄皇子の漏刻研究に何らかの関係があるのではとの説があるようです。

日本書紀には「671年4月25日には漏刻を新しい台の上に置き鐘・鼓を打って時を知らせた。この漏刻は天皇が皇太子であった頃に自分でお造りになったものである。」といった記事が載せられているのですが、もしかしたら中大兄皇子は科学的な面に才能を発揮する理系の人だったのかもしれません。









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スポットライト人物伝


【物部麁鹿火(もののべあらかい)】
(?~536年)


任那四県割譲の承諾を百済の使者に伝える役目を命ぜられますが、妻の強い制止に従い病を理由にその役を断ります。 「磐井の乱」では継体天皇に命じられ筑紫に出兵し三井郡(みいのこおり、三井郡大刀洗町、久留米市北野町)で磐井を破り乱を平定します。



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