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一夜漬け福岡史 【平安時代】-菅原道真左遷と藤原純友の乱-
そして菅原道真の左遷から四十年後に「藤原純友の乱」が起こります。伊予の本拠地を朝廷軍により攻略された純友は海路で筑紫に逃れ 大宰府や観世音寺で略奪行為を行います。これに対し朝廷は小野好古(おののよしふる)、大蔵春実(おおくらはるざね)等を派遣します。 乱は程なく鎮圧され大蔵春実は大宰府の要職に就き、子孫は大宰府南方の原田(はるだ)に住み原田氏を名乗ります。 平安時代の後半はこの原田氏が筑紫の治安を司る職を担いますが、平安末期には京都を追われた平家を助け、 平家が壇ノ浦に破れ滅亡すると領地を没収されます。 この他、平安時代には新羅海賊や刀伊(とい)の入寇があり被害を受けます。 特に1019年の「刀伊の入寇」は藤原隆家の率いる軍が撃退したもの、 対馬、壱岐、博多湾周辺で500人近い死者を出し1000人以上が連れ去られています。 (2012.11.25) 関連記事:平安 |
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名所旧跡・太宰府・筑紫野 【榎社】-太宰府市朱雀-
「榎社」の案内板より
菅原道真公は幼い男女二人の子供を連れ謫居に入りますが、そこでの生活は思った以上に厳しいものだったようで「慰少男女詩」という二人を慰める漢詩を詠んでいます。翌年には劣悪な環境の中で男児の隈麿が亡くなります。 上の「秋夜」という漢詩はその頃に詠まれたものと思われます。女児の紅姫の行方は伝わっていないようですが、流配された兄の元もしくは、縁者に引き取られたのではと想像されています。 道真公が千年以上に亘り長く広く信仰される理由は「都での華々しい経歴」でも「祟り伝説」のためでもなく、この謫居で書き残した詩文が後世の人々の心を強く深く打ったからではないかと個人的には思われます。 |
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