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福岡人物伝
 【小野好古】

伊予の本拠地を奪われた藤原純友が大宰府を襲うと朝廷から平定を命じられた小野好古は九州に入り博多湾で純友軍と戦い撃破します。 櫛田神社に祀られる三神の内、素盞嗚大神(スサノウノミコト)はこの「藤原純友の乱」の平定後、小野好古が祀ったものだと 博多祇園山笠公式サイトに記載されています。また太宰府の春の一大行事「曲水の宴」は大宰大弐だった好古が執り行ったのが始まりといわれています。 ちなみに救済施設「続命院」を創設した小野岑守は好古の曽祖父にあたります。


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小野岑守(778年~830年)【福岡人物伝】
平安初期の政治家で伝説の詩人・小野篁(たかむら)の父親になります。文人でもあり「凌雲集」「日本後紀」の編纂にもあたります。大宰大弐として着任した際、道端に行き倒れた人々を目の当たりにし、これをあわれみ救済施設「続命院」を創設します。 余談になりますが、幕末維新に活躍した医師・高松凌雲の号は福祉に勤.....

小野好古(884年~968年)【福岡人物伝】
伊予の本拠地を奪われた藤原純友が大宰府を襲うと朝廷から平定を命じられた小野好古は九州に入り博多湾で純友軍と戦い撃破します。 櫛田神社に祀られる三神の内、素盞嗚大神(スサノウノミコト)はこの「藤原純友の乱」の平定後、小野好古が祀ったものだと 博多祇園山笠公式サイトに記載されています。また太宰府の春の一.....









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福岡史伝…福岡の歴史をできる限り簡単にご紹介!

名所旧跡…メジャー観光地と観光バスは行かない隠れた旧跡

福岡人物伝…歴史は人が造る!福岡の歴史に登場した人々

意外な話…それってホント?意外すぎる話。

よくわかっていない事…歴史って考えれば考えるほど面白い!!

一夜漬け福岡史…時間がない忙しい人用のページ

福岡歴史年表…福岡2000年の歴史概要

名所旧跡フォトライブラリ…乱雑ですが写真集です

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余談…ひとり言的な話です

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はじめに…お願いと参考書

 
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福岡史伝・鎌倉
 【元弘の乱-博多-】(1331年)

後醍醐天皇の倒幕計画が漏れ拘束されたことにより「元弘の乱」が起こります。通常は首謀者が拘束されると乱は収束するのですが、 この時は、後醍醐天皇の親王や意を受けた武将が各地に立ちます。 これにより情勢が不安定になって来ると、鎮西探題(博多)の北条英時は九州の御家人を博多の探題に呼び集め収拾に努めようとします。 この呼びかけで博多に向かった、肥後の菊池武時、筑前の少弐貞経、豊後の大友貞宗は鎮西探題を倒す密約を交わしていたといわれます。 博多に入った菊池武時は1333年3月13日に事を決行しようとしますが、時期尚早と判断した少弐貞経と大友貞宗は立たず、 逆に探題側につき、兵250を率いて鎮西探題に攻め入った菊池武時を攻撃し敗死させます。 菊池武時は前日の夜、少弐貞経と大友貞宗に決起要請の使者を送っていますので、当然探題側は武時の動きを掴んでおり 攻撃してくるのを待ち構えていました。もちろん武時もこの状況はわかっていたはずで決死の覚悟で戦いに望んだと思われます。

この事件から2ヶ月後の5月7日には足利高氏は六波羅探題(京都)を落とし、5月22日鎌倉が新田義貞の軍によって陥落します。 そしてその3日後の5月25日に鎮西探題の北条英時は室見川河口付近にあった鷲尾城で少弐貞経、大友貞宗、島津貞久等に攻められ自刃し、 北条氏の勢力は崩壊します。

この「元弘の乱」から3年後に大宰府へ攻め込んだ菊池武敏(菊池武時の九男)は少弐家の城、有智山城を攻め落とし父の仇、少弐貞経を自害させます。 しかし「多々良浜の戦い」で足利尊氏と少弐貞経の嫡男・頼尚の軍に破れ、肥後に撤退します。

(2011.7.9)









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スポットライト人物伝


【高山彦九郎(たかやまひこくろう)】
(1747年~1793年)


江戸中期から後期にかけての草莽の勤皇家で「寛政の三奇人」のひとり。40代半ばで九州を遊歴し王政復古を説き、幕府を批判しますが幕府の圧力があったのか久留米に滞在中に自刃し最期を迎えます。しかしその思想は70年後の尊王攘夷運動に大きな影響を与えます。長州で維新の原動力となった志士たちを育てた吉田松陰の号は彦九郎の諡(おくりな)「松陰以白居士」より取られたものと言われています。



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