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寛政異学の禁(1790年)【福岡史伝・江戸】
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福岡史伝…福岡の歴史をできる限り簡単にご紹介!

名所旧跡…メジャー観光地と観光バスは行かない隠れた旧跡

福岡人物伝…歴史は人が造る!福岡の歴史に登場した人々

意外な話…それってホント?意外すぎる話。

よくわかっていない事…歴史って考えれば考えるほど面白い!!

一夜漬け福岡史…時間がない忙しい人用のページ

福岡歴史年表…福岡2000年の歴史概要

名所旧跡フォトライブラリ…乱雑ですが写真集です

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新着情報

2022.12.25

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2022.12.4

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2022.9.18

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2022.9.13

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2022.8.27

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2022.8.1

【記想録】完戸何某との決闘

2022.7.24

【記想録】夢想権之助の挑戦

2022.7.3

【記想録】行蔵は我に存す

名言・格言「黒板にちゅ~も~く!」
兵とは詭道(きどう)なり
-戦いとは騙し合いで何が起こるかわからない、十分に注意が必要である-    
孫子





名所旧跡・福岡地区東部
 【蒙古碇石】-福岡市東区箱崎宮境内-



【蒙古軍船碇石】
福岡県指定 文化財

文永十一年(西暦一、二七四年)十月二十日 蒙古軍三万は、九百隻の艦船に乗って博多に迫り、終日わが軍と激戦を交え、本宮も兵火によって、焼失したのであったが、翌二十一日朝には、意外にも湾内から姿を消してしまった。
世上これは神風によるものだという。
古来博多付近には蒙古軍船の碇石と称するものが十数本あり、肥前から壱岐にかけても五本ほどあって、いずれも海中から引揚げられたものであるが、場所がら歴史的記念物であるとして珍重されてきた。
この碇石は博多港中央波止場付近の海中から引揚られた六本中の一本であって、石質は赭色凝灰岩である。 この種の石材は蒙古軍の造船地であった朝鮮全羅南道興南方の天冠山に求めることができる。

筥崎宮境内「蒙古軍船碇石」の案内板より

碇石の後ろに見える石垣は、西南高校にある元寇防塁を一部移設展示したものです。









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スポットライト人物伝


【藤原純友(ふじわらすみとも)】
(893年~941年)


瀬戸内海で海賊行為を行い暴れ回った藤原純友の軍は本拠地の伊予を朝廷軍に制圧されると、 筑紫に逃れ大宰府を襲い観世音寺で略奪を行います。 しかし博多湾で朝廷軍に破れ伊予に逃げ戻りますが、そこで捕らえられ獄死する事になります。



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