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2022.12.25
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2022.12.4
【記想録】冷眼にて人を観る
2022.11.5
【記想録】人を責むる者は・・・
2022.10.15
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2022.9.18
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2022.9.13
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2022.8.27
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2022.8.1
【記想録】完戸何某との決闘
2022.7.24
【記想録】夢想権之助の挑戦
2022.7.3
【記想録】行蔵は我に存す
宮崎安貞書斎
宮崎安貞は、元和9年(1623年)芸州広島で生まれ、25歳の時、福岡藩主黒田忠之につかえました。まもなくその職をやめ、九州・山陽・近畿の諸国をめぐり、草木や作物の植え付けなど農事の研究を積み重ねました。帰国すると、現在の西区女原に住み、一人の農民として郷土の農業改善、生活の向上に尽くしました。現在も「宮崎開き」の地名が残るほど、積極的に開墾事業も行いました。 また、中国の農業書や諸国での体験をもとに、元禄9年(1696年)農業全書(のうぎょうぜんしょ)(全10巻)を著しました。水戸光圀も絶賛したこの書は、わが国初の農書として名高く、多くの人に読みつがれてきました。 女原に住むこと40年、元禄10年(1697年)に、75歳で亡くなりました。墓(史跡)は現在地より、南側300mのところにあります。 この書斎は、一部手を加えられていますが、安貞の書斎として当時をしのぶことができます。右側にある顕彰碑は、明治21年、宮崎安貞翁を顕彰するため徳永に建てられたものを昭和62年3月宮崎安貞顕彰会の人々の尽力により移築されたものです。
平成13年3月
西区役所
今津元寇防塁のある福岡市教育委員会の案内板より
【阿蘇惟直(あそこれなお)】(?~1336年)足利尊氏が九州に上陸すると菊池武敏と共に筑前へ攻め上り、多々良浜で尊氏軍と激突します。 しかし戦いに敗れたため山越えで佐賀方面へ撤退を試みますが、小城の千葉氏の攻撃を受け天山付近で自害しました。 のちに妻女がその地を訪れ惟直の後を追ったという話が残っています。
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