年代 |
出来事 |
出典 |
天皇 |
300年代 |
熊襲の抵抗。 仲哀天皇が崩御し「熊襲との戦」から「新羅との戦」へ移行。 |
日本書紀 |
景行天皇 (日本武尊) 仲哀天皇 |
329年頃 |
日本書紀の記述ではこの頃に神功皇后が朝鮮半島に侵攻したと思われる? |
日本書紀 |
不在 |
372年頃 |
百済の近肖古王と太子の貴須が倭国王「旨」に「七支刀(七枝刀)」を送る。 |
七支刀の銘文 日本書紀 |
応神天皇 |
389年頃 |
日本書紀の記述ではこの頃に神功皇后が崩御したと思われる。 |
日本書紀 |
応神天皇 |
391年 |
倭国が朝鮮半島に侵攻し、百済、新羅を破り臣従させる。 |
好太王碑 |
応神天皇 |
393年 |
倭国軍が新羅の都を包囲する。 |
三国史記 |
応神天皇 |
397年 |
百済が倭国へ人質として王子を送る。 |
三国史記 |
応神天皇 |
399年 |
倭国が百済と同盟し新羅に攻め込む。新羅は高句麗へ救援を求める。 |
好太王碑 |
応神天皇 |
400年 |
高句麗が5万の兵で新羅を救援に向かうと倭国は退却するが、
それを追うと隙を突いて安羅(伽耶の一国)軍が新羅の都を占領した。 |
好太王碑 |
応神天皇 |
402年 |
新羅が倭国へ人質として王子を送る。 |
三国史記 |
応神天皇 |
404年 |
倭が帯方郡に侵攻してきたが、高句麗軍はこれを攻めて撃破した。 |
好太王碑 |
応神天皇 |
413年 |
倭王讃が東晋に朝献。 |
晋書 |
仁徳天皇 |
421年 |
倭王讃が宋に朝献し、武帝から除綬を給う。 |
宋書 |
仁徳天皇 |
425年 |
倭王讃が宋の文帝に朝献。 |
宋書 |
仁徳天皇 |
430年 |
倭王、宋に朝献。 |
宋書 |
仁徳天皇? |
432年頃 |
履中天皇即位。(在位5年で病のため崩御) |
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履中天皇 |
438年 |
倭王讃没し弟珍立つ。この年、宋に朝献し自ら「使持節都督倭、百済、新羅、任那、秦韓、慕韓、六国諸軍事安東大将軍倭国王」と称し任命を求める。
宋の文帝は珍を安東将軍倭国王に任命する。
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宋書 |
反正天皇 |
443年 |
倭王済、宋の文帝に朝献し、安東将軍倭国王を認められる。
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宋書 |
允恭天皇 |
451年 |
倭王済、宋の文帝から「使持節都督倭、新羅、任那、加羅、秦韓、慕韓、六国諸軍事」を加号される。
安東大将軍に進号する。
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宋書 |
允恭天皇 |
460年 |
倭王、孝武帝へ朝献。 |
宋書 |
允恭天皇? |
462年 |
宋の孝武帝は、済の息子の興を安東将軍倭国王とする。 |
宋書 |
安康天皇 |
477年 |
倭王興、宋に朝献。
先立って興は没し弟の武立つ。武は自ら「使持節都督倭、百済、新羅、任那、加羅、秦韓、慕韓、七国諸軍事安東大将軍倭国王」と称する。
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宋書 |
雄略天皇 |
478年 |
倭王武は、自ら「開府儀同三司」と称し、叙正を求める。順帝、武を「使持節都督倭、新羅、任那、加羅、秦韓、慕韓、六国諸軍事安東大将軍倭王」とする。
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宋書 |
雄略天皇 |
479年 |
南斉の高帝は倭王武を鎮東大将軍に進号。
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南斉書 |
雄略天皇? |
502年 |
梁の武帝は倭王武を征東大将軍に進号する。
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梁書 |
雄略天皇? |
512年 |
大伴金村が百済の要求に応じ、任那四県を割譲する。
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日本書紀 |
継体天皇 |
527~ 528年 |
磐井の乱が起こる。528年11月筑紫平野北部で戦うが磐井は破れ乱が平定される。
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日本書紀 |
継体天皇 |
529年 |
近江毛野(おうみのけな)朝鮮に渡り、交渉のため新羅、百済の王の来訪を促すが、逆に攻められる。
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日本書紀 |
継体天皇 |
531年 |
継体天皇が崩御する。
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継体天皇 |
537年 |
新羅が任那へ侵攻したため、大伴金村の子、磐(いわ)と狭手彦(さてひこ)の兵を任那へ派遣した。
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日本書紀 |
宣化天皇 |
562年 |
伽耶が新羅に併合される。 |
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欽明天皇 |
562年 |
任那が降伏したため新羅に紀男麻呂(きのおまろ)を派遣するが任那を復興できず。 |
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欽明天皇 |
そ の 後 |
660年 |
新羅・唐の連合軍が百済を滅ぼす。 |
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斉明天皇 |
663年 |
中大兄皇子は百済復興のため朝鮮に出兵するが、白村江の戦いで新羅・唐の連合軍に敗れる。 |
日本書記 |
(中大兄皇子) |
668年 |
新羅・唐の連合軍が高句麗を滅ぼす。 |
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天智天皇 |
672年 |
「壬申の乱」で大友皇子を破った天武天皇が即位し新羅とは和平路線をとる。 |
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天武天皇 |
676年 |
新羅が唐を追い朝鮮半島を統一する。 |
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天武天皇 |