記事検索 

検索の結果 対象の記事が見つかりませんでした










目   次

福岡史伝…福岡の歴史をできる限り簡単にご紹介!

名所旧跡…メジャー観光地と観光バスは行かない隠れた旧跡

福岡人物伝…歴史は人が造る!福岡の歴史に登場した人々

意外な話…それってホント?意外すぎる話。

よくわかっていない事…歴史って考えれば考えるほど面白い!!

一夜漬け福岡史…時間がない忙しい人用のページ

福岡歴史年表…福岡2000年の歴史概要

名所旧跡フォトライブラリ…乱雑ですが写真集です

リンク…博物館、資料館、図書館へのリンクです。

余談…ひとり言的な話です

更新履歴…アップした日付

訂正履歴…間違い直しの履歴です

はじめに…お願いと参考書

 
新着情報

2022.1.8

【記想録】則ち誠聞こえず

2022.1.1

【記想録】かならず利害に雑う

2021.12.26

【記想録】禍は口より出で

2021.12.25

【記想録】寧耐は事を成す

2021.11.6

【記想録】姦悪をなす者その才人に過ぐ

2021.10.17

【記想録】口に才ある者は・・・

2021.10.4

【記想録】衆これを悪むも必ず察す

2021.9.11

【記想録】志無きの人は鈍刀の如し

2021.8.28

【記想録】則ち怨み遠ざかる

2021.8.22

【記想録】三十六策、是れ走を上計とす

名言・格言「黒板にちゅ~も~く!」
事は密を以って成り、語は泄(も)るるをもって敗る
韓非子





名所旧跡・京築
 【豊前国府政庁跡】-京都郡みやこ町-



豊前国府政庁跡

豊前国府政庁跡

 豊前国府は、ここ福岡県京都郡みやこ町国作(こくさく)・ 惣社(そうしゃ)地区に広がる奈良~平安時代の地方都市で、 当時は豊前国の政治・経済の中心地として繁栄していました。 また、当国府の政庁の南方約350mには古代の官道が北西-南東方向に走り、 さらにその南方約450mには奈良時代に創建された豊前国分寺があります。 政庁の南西に隣接する惣社八幡神社は、 平安時代に国司が参拝した豊前国の総社です。

 豊前国府の中心部の政庁には8世紀から12世紀ごろまで 官衙(役所)の主要建物が建設されていましたが、 ここでは発掘調査で確認された第Ⅲ期(9世紀後葉~10世紀後葉) 前半の中門跡・東脇殿跡・築地塀跡などを中心に復元しています。 この一帯は後世の開墾などで地形が変化していますが、 政庁の大きさは東西の幅約79.2m、南北の長さ約105.0mでした。

 発掘では須恵器・土師器などの日常の食器以外にも、緑釉(りょくゆう) 陶器・灰釉(はいゆう)陶器などの国産高級陶器、青磁・白磁など中国から の輸入磁器、各種の硯、墨書土器、木簡、瓦などが出土しています。

「豊前国府政庁跡」の案内板より




豊前国府政庁中門跡

中門跡

 平城宮に代表される古代の役所は、南側の入口に門が建てられていました。  豊前国府の政庁の場合も同様で、この場所から東西の長さ6.8m、 南北の幅3.4mの堀立柱建物跡が見つかり「八脚門」という形式の門(中門とよばれるも の)があったものとみられています。 建物は柱の直径が30cm前後で、柱穴は正方形で1辺が1mもあり、 豊前国府の建物の中では比較的大きなものでした。  またこの中門の南側の築地塀付近には南門も設けられていたものと考えられています。 ここでは土盛りの基壇の上に築かれていたとみられる中門の柱下部(基礎部分)を復元しています。

「豊前国府政庁中門跡」の案内板より




築地塀(復元)

築地塀(復元)

豊前国府の第Ⅲ期(9世紀後葉~10世紀後葉)の政庁は、10世紀中ごろに一度建てかえられています。 第Ⅲ期の前半代の政庁は築地塀によって南北に長い長方形に区画されていたことが発掘調査で確認されています。 第Ⅲ期後半代では政庁内部の建物は明らかになっていませんが、 この場所で同時期の築地塀の雨落ち溝が発見されています。 この場所は後世の開墾等による地形の変化が少なく、周囲にくらべ1~1.5mほど小高く残されていました。 この高さが平安時代の国府政庁が建築されていた、地表の高さに近いものと想像されます。 発見された雨落ち溝は、4.1mの間隔をおいてほぽ南北方向に並行して走る二条の大構で、 西側の溝は幅1.1~1.9m・深さ0.35m、東側の溝は幅1.3m前後・深さ0.25mでした。 長さはともに6m程度が残っていて、溝の断面は逆台形でした。 溝の内部からは土師器(はじき)の椀・杯(つき)・皿や緑釉陶器(りょくゆうとうき)が出土しています。
古代の役所や寺院では、回廊や築地塀・板塀・柵列などでその敷地を区画しています。 しかし実際に発掘調査で確認された築地塀跡を復元した例はまだ少なく、平城宮跡(奈良県)や讃岐国分寺(香川県)などで部分的に当時の姿が復元されています。
豊前国府跡でも今回第Ⅲ期後半代の雨落ち溝の位置(左隣の築地塀)に築地塀を復元しました。 この築地塀の復元方法は塀本体を三和土(さんわど)の手搗(てつ)き版築(はんちく)でつくり、上部は本瓦葺(ほんかわらぶき)で仕上げています。 大きさは基底部の幅が1.38m、高さが3.78mで、長さ2.4m分を復元しています。

「豊前国府政庁築地塀(復元)」の案内板より











福岡史伝へのアクセスにはこのQRコードをご利用ください
https://www.2810w.com


スポットライト人物伝


【物部麁鹿火(もののべあらかい)】
(?~536年)


任那四県割譲の承諾を百済の使者に伝える役目を命ぜられますが、妻の強い制止に従い病を理由にその役を断ります。 「磐井の乱」では継体天皇に命じられ筑紫に出兵し三井郡(みいのこおり、三井郡大刀洗町、久留米市北野町)で磐井を破り乱を平定します。



このページは ClubTwinHut が運営しています



© 2011 福岡史伝