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福岡史伝…福岡の歴史をできる限り簡単にご紹介!

名所旧跡…メジャー観光地と観光バスは行かない隠れた旧跡

福岡人物伝…歴史は人が造る!福岡の歴史に登場した人々

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新着情報

2022.1.8

【記想録】則ち誠聞こえず

2022.1.1

【記想録】かならず利害に雑う

2021.12.26

【記想録】禍は口より出で

2021.12.25

【記想録】寧耐は事を成す

2021.11.6

【記想録】姦悪をなす者その才人に過ぐ

2021.10.17

【記想録】口に才ある者は・・・

2021.10.4

【記想録】衆これを悪むも必ず察す

2021.9.11

【記想録】志無きの人は鈍刀の如し

2021.8.28

【記想録】則ち怨み遠ざかる

2021.8.22

【記想録】三十六策、是れ走を上計とす

名言・格言「黒板にちゅ~も~く!」
窮屈逼塞は、天地の常道ではないヨ
氷川清話





福岡史伝・弥生・古墳
 【磐井の乱】(527年)

岩戸山古墳の石人石馬
継体天皇は527年、対新羅戦のため任那に近江毛野(おうみのけな)率いる兵6万を送ろうとしますが、筑紫国造の磐井が乱を起こしこれを阻みました。 これは「新羅からの内応要請」や「朝鮮半島での戦役の負担への反発」などが理由とされています。
磐井は肥後と豊後を押さえ、朝鮮からの朝貢船を奪います。 これに対し継体天皇は物部麁鹿火(もののべのあらかひ)を将軍とし鎮圧に向かわせます。 戦いは528年、三井郡大刀洗町付近で行われ磐井は破れ、斬られたとも豊前方面に逃れそこで死んだともいわれています。
現在、八女市にある岩戸山古墳が生前、磐井のために造られた墓ではないかといわれています。


この頃、朝鮮半島では新羅が急速に力をつけて来た時期で、この事件の32年後の562年に伽耶を併合します。 伽耶を支援していた倭国に対抗して、新羅が九州の実力者磐井に資金を贈って同盟を申し込むといった行動は、戦略として十分ありえる話と思われますが、これだけを理由に磐井が乱を起こしたと考えるのは難しいと思います。 やはり戦役の負担への反発が一番大きな理由だったのではないでしょうか、継体天皇が任那に送ろうとした兵6万の一部、もしくは半数、もしかしたらその全てが磐井に要請された兵だったのかもしれません。

(2011.6.12)









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スポットライト人物伝


【貝原東軒(かいばらとうけん)】
(1651年~1713年)


秋月藩士の娘で益軒の妻女。1668年に数え年18歳で39歳の益軒と結婚します。書・和歌の他、箏(そう・琴に似た楽器)や胡琴(こきん・中国から伝わった弦楽器)などの楽器にも通じていました。益軒の著作編纂を陰から助け、「女大学」を記述したのは東軒ではないかといった説もあります。益軒が没する前年に63歳で亡くなっています。



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