■福岡史伝…福岡の歴史をできる限り簡単にご紹介!
■名所旧跡…メジャー観光地と観光バスは行かない隠れた旧跡
■福岡人物伝…歴史は人が造る!福岡の歴史に登場した人々
■意外な話…それってホント?意外すぎる話。
■よくわかっていない事…歴史って考えれば考えるほど面白い!!
■一夜漬け福岡史…時間がない忙しい人用のページ
■福岡歴史年表…福岡2000年の歴史概要
■名所旧跡フォトライブラリ…乱雑ですが写真集です
■リンク…博物館、資料館、図書館へのリンクです。
■余談…ひとり言的な話です
■更新履歴…アップした日付
■訂正履歴…間違い直しの履歴です
■はじめに…お願いと参考書
2022.7.3
【記想録】行蔵は我に存す
2022.6.5
【記想録】待てば霽る
2022.5.3
【記想録】奔馳角逐の心を消すべし
2022.4.23
【記想録】一飯も竟に終身の感を致す
2022.4.16
【記想録】例えば卒然の如し
2022.4.10
【記想録】徳は才の主
2022.4.4
【記想録】衆は害に陥りて能く勝敗を為す
2022.3.6
【記想録】兵とは国の大事なり
2022.2.23
【記想録】信なくば立たず
2022.2.12
【記想録】その鋒鋩を露すべからず
西学問所(甘棠館)跡の碑
【西学問所(甘棠館)跡】 天明4年(1784年)に福岡藩が藩士教育のため設けた藩校西学問所、別称甘棠館の跡です。徂徠古学派の儒者亀井南冥が館長となり、学生の自主的な学習を尊重する校風の下に江上苓州・原古処・広瀬淡窓等の人材が育成されました。しかし、幕府の学問統制や藩内儒者間の主導権争いの結果、寛政4年(1792年)に南冥は罷免され、また同10年に学舎が火災消失したことを機に廃止されました。なお、その跡は、この案内板正面の一角になります。
【原田種直(はるだたねなお)】(?~?)都落ちした安徳天皇と平家一門を筑紫に迎え入れますが、豊後の兵が攻め寄せて来たため平家一門は着の身着のまま北に向かいます。種直はその後を追い、遠賀川河口の山鹿まで護衛しています。 この約1年後には源範頼が九州上陸を開始し芦屋海岸に攻め寄せたため、これを阻止するため交戦しますが敗れ源氏の軍の上陸を許します(葦屋浦の戦い)。そして数日後には平家は壇ノ浦に滅び、種直は捕らえられ鎌倉に送られます。.....[全文を表示]
▲