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福岡史伝…福岡の歴史をできる限り簡単にご紹介!

名所旧跡…メジャー観光地と観光バスは行かない隠れた旧跡

福岡人物伝…歴史は人が造る!福岡の歴史に登場した人々

意外な話…それってホント?意外すぎる話。

よくわかっていない事…歴史って考えれば考えるほど面白い!!

一夜漬け福岡史…時間がない忙しい人用のページ

福岡歴史年表…福岡2000年の歴史概要

名所旧跡フォトライブラリ…乱雑ですが写真集です

リンク…博物館、資料館、図書館へのリンクです。

余談…ひとり言的な話です

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はじめに…お願いと参考書

 
新着情報

2021.11.6

【記想録】 姦悪をなす者その才人に過ぐ

2021.10.17

【記想録】 口に才ある者は・・・

2021.10.4

【記想録】 衆これを悪むも必ず察す

2021.9.11

【記想録】志無きの人は鈍刀の如し

2021.8.28

【記想録】則ち怨み遠ざかる

2021.8.22

【記想録】三十六策、是れ走を上計とす

2021.8.21

【記想録】己の欲せざる所は人に施す勿れ

2021.8.16

【記想録】漱石が子規からもらった漱石

2021.8.15

【記想録】兵の形は水に象る

2021.8.14

【記想録】逆境の中に居ればみな薬石

名言・格言「黒板にちゅ~も~く!」
仁義道徳に缼(か)けると、世の中の仕事といふものは、段々衰微して仕舞ふのである。
論語と算盤





名所旧跡・筑後地区北部
 【高橋城跡】-大刀洗町下高橋(竈門神社内)-





竃門神社

【高橋城跡】
所在地 三井郡大刀洗町大字下高橋  中世の豪族「高橋氏」の居城跡で、現在の竃門神社境内を中心とした一帯が城跡のようで、「木戸」・「溝口」・「屋敷」などの地名と、北・西・南を巡る堀が残ってい ました。  「筑後国史」には、「平城なり、縦五十三間、横二十五間、東に広さ三間の堀あり。西にまた二つあり。一つは広さ三間半、一つは二間の堀あり。二の丸は縦四十三間、横二十間、東西に広さ三間、南に二間の堀がある。高橋三河守鑑種先祖より続きたる采地の城なり。鑑種、大友の賞によって筑前岩屋の城を賜りこれに移る。」とあります。(一間は約一.ハメートル) 高橋氏の祖は大蔵春実で、藤原純友の乱(九三九年)平定のてがらにより、上高橋・今・鵜木・下高橋を領地とし、当初上高橋城を居城としていました。また、地名をとって「高橋氏」と名乗っていました。室町時代の高橋長種には跡継ぎがなく、豊後の戦国大名大友宗麟は、名家の絶えることを惜しみ、一族の一万田右馬助に高橋家の家名を継がせ、高橋三河守鑑種と名乗らせました。  その後、高橋氏は居城を上高橋城からここ下高橋の地に移し、弘治年間(一五五五~一五五八年)に筑前岩屋城に移すまでここを居城としていました。  境内に残る宝篋印塔は「高橋様」と呼ばれ、高橋氏ゆかりのものといわれています。 

平成十一年三月三一日

大刀洗町教育委員会

竃門神社境内の案内板より











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スポットライト人物伝


【草野経永(くさのつねなが)】
(?~?)


筑後の御家人で父・草野永綱(くさのながつな)と共に「弘安の役」に参陣します。 博多湾に悠々と停泊する元の船団を目の当たりにした経永は「何とか一泡吹かしてやろう」 と2艘の小船に郎党を分乗させると夜陰に紛れて元の軍船に近づきます。そして敵船に飛び移ると火をかけ、 無警戒だった元軍の兵士たちを次々に討ち取り、凱旋します。 この奇襲戦の成功を知った他の御家人たちは「先を越された!」と悔しがり、その後に多.....[全文を表示]



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