■福岡史伝…福岡の歴史をできる限り簡単にご紹介!
■名所旧跡…メジャー観光地と観光バスは行かない隠れた旧跡
■福岡人物伝…歴史は人が造る!福岡の歴史に登場した人々
■意外な話…それってホント?意外すぎる話。
■よくわかっていない事…歴史って考えれば考えるほど面白い!!
■一夜漬け福岡史…時間がない忙しい人用のページ
■福岡歴史年表…福岡2000年の歴史概要
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■余談…ひとり言的な話です
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■訂正履歴…間違い直しの履歴です
■はじめに…お願いと参考書
2022.7.3
【記想録】行蔵は我に存す
2022.6.5
【記想録】待てば霽る
2022.5.3
【記想録】奔馳角逐の心を消すべし
2022.4.23
【記想録】一飯も竟に終身の感を致す
2022.4.16
【記想録】例えば卒然の如し
2022.4.10
【記想録】徳は才の主
2022.4.4
【記想録】衆は害に陥りて能く勝敗を為す
2022.3.6
【記想録】兵とは国の大事なり
2022.2.23
【記想録】信なくば立たず
2022.2.12
【記想録】その鋒鋩を露すべからず
【菊池武光銅像】 正平十四年(1359)八月七日、大原(小郡市)で少弐頼尚を撃破した菊池武光は敗走する敵を追って山隈原に進出した。 この方面で戦っていた少弐方の大友勢も菊池勢の側面からの攻撃に崩れ去った。 武光はさらに小川を渡り(菊池渡りという)深く追撃しようとした。 しかし夜明け前からの激戦、死傷者 少弐方一万八千人、菊池方六千九百人 と伝えられるように味方も損害甚大かつ疲労困憊その極に達していたため、追撃することを止め、軍を山隈原にまとめた。 朝来の血刀を山隈原を貫流している小川で洗うと、刃は鋸のようにこばれており、川水はまっ赤に染まった。 「帰来、河水に笑って刀を洗えば、血は奔湍にほとばしって紅雪をふく-頼山陽」 「そのかみの血潮の色とみるまでに、紅葉流るる大刀洗川-乃木大将」 古人は、このありさまをこのように詠じている。 この故事によって、本町は大刀洗町と名づけられた。 雄姿凛々たるこの銅像は、ゆかりの菊池渡りの地に昭和十二年十一月建立されたものである。 なお馬腹や台石の弾痕は昭和二十年三月の大刀洗飛行場爆撃の時の名残である。
【宮崎安貞(みやざきやすさだ)】(1623年~1697年)広島の出身で一時、福岡藩へ仕えますが5年ほどで自ら浪人し、周船寺村で農業の研究に没頭します。 そして晩年には名著「農業全書」を貝原益軒の協力で出版します。この書は施政者や農業関係者より絶賛され、 その後の農業に大きな影響を与えたといわれています。
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