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養生訓





一夜漬け福岡史
 【幕末・明治】-勤皇の志士たちと「秋月の乱」-

月形洗蔵幽閉の地の碑
幕末期には、真木和泉や平野國臣などの勤皇の志士が登場します。二人は1862年4月、薩摩藩の「寺田屋事件」に関わり捕らえられ、 それぞれ久留米藩、福岡藩へ送還されますが、一年後には許され再び志士活動を開始し京に上ります。
しかし京都では1863年8月に突然政変が起こり、朝廷に強い影響力のあった長州藩を会津薩摩の両藩が追い落とし、 三条実美(さんじょうさねとみ)ら長州派の七卿も西へ落ち延びます。これが「七卿落ち」で真木和泉も長州までこの一行に同行しています。 そして平野國臣は七卿のひとり澤宣嘉(さわのぶよし)と共に但馬生野で「生野の変」を起こし幕府に抵抗しようとしますが失敗し 捕らえられ京都六角獄舎へつながれます。
翌年、長州藩は京都に兵を送り巻き返しを図りますが、再び会津・薩摩藩に敗れます。 これが「禁門の変」で真木和泉も長州側の武将として戦いますが、 敗戦が濃厚になると京都より南西の天王山に登り同志と共に自刃して果てます。 前日には平野國臣もこの戦いの混乱で六角獄舎にて斬首されており、筑前筑後の二大巨頭はここに志半ばで斃れることになります。

その後、長州藩は第一次長州征討で幕府に屈したため、下関に滞在していた五卿は福岡藩に移されることになりました。 この時、福岡藩は王政復古思想を理由に蟄居させていた筑前勤皇党の月形洗蔵(つきがたせんぞう)の罪を許し、 五卿を迎えるため下関へ向かわせます。
月形の説得に五卿は太宰府遷座(せんざ)を了解し、翌年2月13日に太宰府の延寿王院(えんじゅおういん)に入ります。 これより延寿王院には多くの長州、薩摩、土佐、筑前勤皇党の志士たちが訪れ、語らい、のちの「薩長同盟」のきっかけとなっていきます。
また月形ら筑前勤皇党は、幕府に恭順する長州藩保守派に追われる高杉晋作を 大宰府五条の酒蔵「中村酒屋」や野村望東尼(のむらもとに)の「平尾山荘」へ匿っています。
しかし、これら筑前勤皇党の活動が幕府の耳に入らぬ訳はなく、福岡藩には幕府より圧力がかかったものと思われます。 1865年6月、突然「乙丑の獄」(いっちゅうのごく)が起こり、月形洗蔵をはじめ筑前勤皇党の中心人物二十一名が粛清され、 その他百名以上が処分を受けます。ここに筑前勤皇党は壊滅し、福岡藩は薩長土にパイプを持つ主だった人材を失います。 そして明治政府が樹立されると「乙丑の獄」で新政府への足がかりを失っていた福岡藩は苦しい立場に追い込まれてゆくことになるのです。

1867年に樹立された明治政府は西洋の文化を次々に取り入れ、1869年には四民平等を勧めます。 そして1876年に「廃刀令」が発せられると、西日本各地の士族が怒りを爆発させます。 熊本では「神風連の乱」、福岡では「秋月の乱」、山口では「萩の乱」が起こります。
「秋月の乱」といえば一般的に宮崎車之助(みやざきしゃのすけ)が中心人物といわれていますが、 実際には車之助は決起に消極的だったようで、 実弟の今村百八郎(いまむらひゃくはちろう)が、決起しないよう説得に現れた警察官・穂波半太郎を斬ったことでその場に居た者たちは、 決起を決断せざるおえなくなったといわれています。 しかし反政府活動は波及せず、この4日後には宮崎車之助ら乱の中心的な人物7名が自刃し乱は終息へ向かいます。
それから3ヵ月後の薩摩では私学校生たちの暴発に引きずられる様に西郷隆盛が決起し西南戦争が勃発します。 明治政府に不満をもつ福岡の士族はこれに呼応し西郷軍に合流しようと南下しますが、 現在の小郡市付近で新政府の鎮台兵に挟撃され秋月方面に逃れます。数日後には秋月に逃れた者たちも政府軍に捕縛され、 福岡士族の武力による反政府活動は終わりを迎えます。

(2012.11.29)









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