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福岡史伝…福岡の歴史をできる限り簡単にご紹介!

名所旧跡…メジャー観光地と観光バスは行かない隠れた旧跡

福岡人物伝…歴史は人が造る!福岡の歴史に登場した人々

意外な話…それってホント?意外すぎる話。

よくわかっていない事…歴史って考えれば考えるほど面白い!!

一夜漬け福岡史…時間がない忙しい人用のページ

福岡歴史年表…福岡2000年の歴史概要

名所旧跡フォトライブラリ…乱雑ですが写真集です

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はじめに…お願いと参考書

 
新着情報

2022.1.8

【記想録】則ち誠聞こえず

2022.1.1

【記想録】かならず利害に雑う

2021.12.26

【記想録】禍は口より出で

2021.12.25

【記想録】寧耐は事を成す

2021.11.6

【記想録】姦悪をなす者その才人に過ぐ

2021.10.17

【記想録】口に才ある者は・・・

2021.10.4

【記想録】衆これを悪むも必ず察す

2021.9.11

【記想録】志無きの人は鈍刀の如し

2021.8.28

【記想録】則ち怨み遠ざかる

2021.8.22

【記想録】三十六策、是れ走を上計とす

名言・格言「黒板にちゅ~も~く!」
千丈の堤も螻蟻(ろうぎ)の穴を以って潰ゆ
韓非子





意外な話
 【漢委奴国王印の鈕は駱駝?】(57年)-金印の取っ手は蛇ではなかった-

金印「漢委奴国王」の鈕(ちゅう・印のつまみの部分)は駱駝(らくだ)を蛇に改造したものではないかという説があるようです。言われてみれば蛇というよりは駱駝に近い様な気がしないでもありません。

中国の各王朝は、地方を治める王族や臣下、豪族部族に印綬を下しますが、このとき相手によって鈕の種類を選んで与えます。王族には「亀」の鈕(亀鈕・きちゅう)、北方の民族には「駱駝」の鈕(駝鈕・だちゅう)、南方の民族には「蛇」の鈕(蛇鈕・じゃちゅう)をといった具合です(福岡市博物館の説明を参考)。
この中で「蛇鈕」の王印は「漢委奴国王」印と中国・雲南省の「てん王之印」の二つしか発見されていません。
「てん王之印」の鈕は明らかに蛇の形をしているのですが、「漢委奴国王」の鈕はボテッとした感じで、ぱっと見では蛇がトグロを巻いた様なイメージがなかなか湧きません。 これは当時の金印彫刻家が北方民族向けの在庫(既存)の「駝鈕」の印を急遽、蛇の形に改造したものではないかといった事が考えられているです。駱駝の突き出した頭の部分を180度背中側に反らせ下あごの部分に蛇の目玉を刻印した。金印の写真を眺めているとそういった情景が思い浮かびます。
ただ、この再加工につての歴史学者の見解は、駱駝の頭部を外して切断部分を滑らかにし蛇の目玉を刻印したというものです。中国で発見された駝鈕の写真を確認してみると駱駝の頭部が結構大きいのでこの見解の方が正しいのかもしれません。

自分の目で確かめたい方は福岡市博物館のページ(http://museum.city.fukuoka.jp/gold/)で写真をご参照ください。









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スポットライト人物伝


【黒田長政(くろだながまさ)】
(1568年~1623年)


豊臣秀吉の参謀・黒田官兵衛(如水)の長男として生まれます。十歳の頃に父・官兵衛の謀反が疑われ織田信長に殺されかけますが、 秀吉の部下・竹中半兵衛に匿われ命を取り留めます。それから二十数年後に秀吉が死去し「関ヶ原の戦い」が起こると、 徳川家康の東軍に属します。この戦いは小早川秀秋の寝返りで東軍が勝利を大きく引き寄せたといいますが、 この「寝返り」を事前に根回ししたのが長政だといわれています。戦後、長.....[全文を表示]



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