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福岡史伝…福岡の歴史をできる限り簡単にご紹介!

名所旧跡…メジャー観光地と観光バスは行かない隠れた旧跡

福岡人物伝…歴史は人が造る!福岡の歴史に登場した人々

意外な話…それってホント?意外すぎる話。

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福岡歴史年表…福岡2000年の歴史概要

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はじめに…お願いと参考書

 
新着情報

2022.1.8

【記想録】則ち誠聞こえず

2022.1.1

【記想録】かならず利害に雑う

2021.12.26

【記想録】禍は口より出で

2021.12.25

【記想録】寧耐は事を成す

2021.11.6

【記想録】姦悪をなす者その才人に過ぐ

2021.10.17

【記想録】口に才ある者は・・・

2021.10.4

【記想録】衆これを悪むも必ず察す

2021.9.11

【記想録】志無きの人は鈍刀の如し

2021.8.28

【記想録】則ち怨み遠ざかる

2021.8.22

【記想録】三十六策、是れ走を上計とす

名言・格言「黒板にちゅ~も~く!」
糟糠(そうこう)の妻は堂より下さず
-若い時から苦労を共にした妻は疎かにしてはいけない-
後漢書





名所旧跡・福岡地区東部
 【蒙古碇石】-福岡市東区箱崎宮境内-



【蒙古軍船碇石】
福岡県指定 文化財

文永十一年(西暦一、二七四年)十月二十日 蒙古軍三万は、九百隻の艦船に乗って博多に迫り、終日わが軍と激戦を交え、本宮も兵火によって、焼失したのであったが、翌二十一日朝には、意外にも湾内から姿を消してしまった。
世上これは神風によるものだという。
古来博多付近には蒙古軍船の碇石と称するものが十数本あり、肥前から壱岐にかけても五本ほどあって、いずれも海中から引揚げられたものであるが、場所がら歴史的記念物であるとして珍重されてきた。
この碇石は博多港中央波止場付近の海中から引揚られた六本中の一本であって、石質は赭色凝灰岩である。 この種の石材は蒙古軍の造船地であった朝鮮全羅南道興南方の天冠山に求めることができる。

筥崎宮境内「蒙古軍船碇石」の案内板より

碇石の後ろに見える石垣は、西南高校にある元寇防塁を一部移設展示したものです。









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スポットライト人物伝


【貝原東軒(かいばらとうけん)】
(1651年~1713年)


秋月藩士の娘で益軒の妻女。1668年に数え年18歳で39歳の益軒と結婚します。書・和歌の他、箏(そう・琴に似た楽器)や胡琴(こきん・中国から伝わった弦楽器)などの楽器にも通じていました。益軒の著作編纂を陰から助け、「女大学」を記述したのは東軒ではないかといった説もあります。益軒が没する前年に63歳で亡くなっています。



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