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検索の結果 18件の記事が見つかりました


如水の井戸(太宰府天満宮内)【名所旧跡・太宰府・筑紫野】
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親不孝通りの史跡(2018年4月7日)【余談】
先日久振りに所用で天神に出たので、ついでに親不孝通りに足を伸ばしました。 「親不孝通り」は随分以前に「親富考通り」に名称変更されたのですが、噂どおり「親不孝通り」の呼称に戻された様です。 ところでこの親不孝通りは中洲に匹敵する福岡市を代表する繁華街として有名なのですが、その近隣では隠れた史跡を散.....

筑前国一の宮 住吉神社(博多区住吉)【名所旧跡・博多区】
住吉神社の歴史は1800年以上とされ、全国に2000社以上ある住吉神社の中でも最初に創建されたと言われています。鎌倉時代に冷泉津(天神、中洲辺りにあった入江)の岬であった現在の地に既に在したとされ、神社南側の地域・美野島は字のごとく島であったということです。この様な環境より住吉神社は古くから国内の海.....

太宰府天満宮-参道~本殿-(太宰府市宰府)【名所旧跡・太宰府・筑紫野】
一の鳥居 太鼓橋 麒麟像 「梅ヶ枝餅」を造る店や茶店、お土産店の立ち並ぶ石畳の参道を進むと「一の鳥居」が見えてきます。 ここを右に行くと「光明禅寺」、真っ直ぐ鳥居をくぐると幕末の志士たちが集った「延寿王院」に突き当たります。 「一の鳥居」の写真は.....

母里太兵衛像(光雲神社内)【名所旧跡・中央区城南区】
光雲神社(てるもじんじゃ)は1909年、西公園に建てられた神社です。 神社名はここに祀られる黒田如水公と黒田長政公の法名から一字ずつ取られたものです。 余談になりますが、参拝させていただいた時、拝殿でお賽銭を入れるとどこからか鶴の鳴き声がして少々驚かされた事がありました。おそらく福岡城の.....

福岡城跡(城内・舞鶴公園)【名所旧跡・中央区城南区】
以前から「福岡城には天守閣がなかった」と言われていたようですが、最近では「築城当時には存在したものも黒田長政が幕府への配慮から取り壊したのでは」といった話も出ているようです。 また短い期間ですが藩祖・黒田如水は福岡城の基礎ができると太宰府の草庵よりこの城の三の丸・御鷹屋敷に移り余生を過.....

黒田騒動(1632年)【福岡史伝・江戸】
初代藩主黒田長政は「後継者には三男の長興(ながおき)を・・・」と考えますが、 家臣の栗山大善(だいぜん)等の反対に押され長男の忠之(ただゆき)を後継者とします。 しかし、この長男が福岡藩を継ぐことに不安を払拭できない長政は長興を秋月藩の初代藩主とし分藩させる事にしました。 そし.....

黒田氏筑前入り(1600年)【福岡史伝・戦国】
福岡藩初代藩主、黒田長政の父、黒田如水は切れ者の野心家として知られ戦国の世に豊臣秀吉の参謀として歴史の表舞台に登場しますが、その秀吉自身も如水の智略、策謀には舌を巻いたといわれています。 九州平定後、秀吉は如水の功績に見合うとはいえない低い石高の豊前中津12万石を与えますが、これは如水の才能を警戒.....

戦国時代(少弐氏から大友氏へそして「岩屋城の戦い」)【一夜漬け福岡史】
筑前で少弐氏の抵抗を封じ、肥前に追い詰めた大内義隆ですが、1551年には重臣の陶晴賢に滅ぼされ、 筑前には豊後の大友義鎮(宗麟)が勢力を伸ばします。 しかし、今度は陶晴賢を倒し大内氏の地盤を取り込んだ中国の雄・毛利元就が侵攻してきます。 これを大友宗麟は多々良浜で迎え撃ち対峙します.....

福岡城に天守はあったか?(福岡の歴史に登場しない幻の天守閣)【わかっていない事】
以前は福岡城に天守閣はなかったいうのが定説だったようですが、最近になって細川家の古文書より「黒田長政が天守閣を取り壊すらしい」といった文書が見つかったため、その存在の真偽の議論が活発化しているようです。 福岡城は1607年に完成していますが、「完成」という事はこの時点で天守閣まで出来上がっていた事.....


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目   次

福岡史伝…福岡の歴史をできる限り簡単にご紹介!

名所旧跡…メジャー観光地と観光バスは行かない隠れた旧跡

福岡人物伝…歴史は人が造る!福岡の歴史に登場した人々

意外な話…それってホント?意外すぎる話。

よくわかっていない事…歴史って考えれば考えるほど面白い!!

一夜漬け福岡史…時間がない忙しい人用のページ

福岡歴史年表…福岡2000年の歴史概要

名所旧跡フォトライブラリ…乱雑ですが写真集です

リンク…博物館、資料館、図書館へのリンクです。

余談…ひとり言的な話です

更新履歴…アップした日付

訂正履歴…間違い直しの履歴です

はじめに…お願いと参考書

 
新着情報

2021.1.10

【記想録】島津義久降伏す

2021.1.5

親魏倭王印はどこにある?を追加

2021.1.4

金印の「委」は「倭」の略字?を追加

2021.1.2

「漢委奴国王」の読み方は?に加筆

2020.12.31

【記想録】村重、孝高を禁獄す

2020.12.30

【記想録】摂津播磨離反す

2020.12.27

【記想録】備中高松城の水攻め

2020.12.22

【記想録】孝高の説得術

2020.12.20

【記想録】原田氏の先祖の事

2020.12.19

【記想録】長宗我部信親の最期

名言・格言「黒板にちゅ~も~く!」
逃ぐるを上となす
三十六計





名所旧跡・太宰府・筑紫野
 【般若寺跡の石造七重塔】-太宰府市-



石造七重塔

般若寺跡の石造七重塔

般若寺は大化五年(六四九)筑紫大宰帥に任ぜられた蘇我日向が孝徳天皇の病気平癒のために建立したと伝えられるが、出土する瓦からは八世紀の奈良朝の建立であるといわれている。何れの時代に亡びたかは不明であるがこの地が般若寺跡と伝えられ、塔の心礎と国の重要文化財、石造七重塔が残っている。 この七重塔は鎌倉時代の作で、石材は御影石、重厚な稜線をもつて囲まれ屋蓋の曲線美は華麗な容姿を示している。塔の四面にある各一文字は四方仏をあらわす梵字で、その書風は力強く刻まれ、鎌倉時代の優秀な遺物であるといわれている。


般若寺跡の石造七重塔の案内板より









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スポットライト人物伝


【佐伯常人(さえきつねひと)】
(?~?)


奈良時代中頃の武人で740年の「藤原広嗣の乱」を平定するために派遣された人物です。「板櫃川の戦い」では川を挟んでの藤原広嗣との論戦で広嗣に大儀がないことを指摘し、広嗣に兵を引かせています。


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